古巣の放送局との契約でラジオのニュースの仕事をしている。経緯があって、この7月から毎週、日曜日と月曜日が、朝から夕方まで働くいわゆる”日勤”。火曜日の夕方から水曜日の朝までが”泊り”というローテーションになった。「しんどくないですか?しんどかったらいつでも言ってください。日数を減らしますから」。そう老骨を気にかけてくれてもいるが、今のところ全く大丈夫。ローテーションのペースをつかんでしまえば、緊張と弛緩の繰り返しが体にも気持ちにも良い刺激になっているように思う。

 そんな1週間の中で、一番ほっとするのはいつかといえば、水曜の朝に”泊り”の仕事が終わった瞬間だ。ここにオンとオフのはっきりとした”変更線”が引かれている。その日の”日勤”のデスクに仕事を引き継ぐと、土曜日までの完全な自由時間が始まる。開放感はマックスだ。もちろん疲れてはいる。以前は、”泊り”が終わると、昼飲みをするために家とは全く別の方向にある店まで足を延ばしたり、サウナで時間をつぶして夕方から始まるコンサートを聞きに行ったり、そのまま旅行に出かけたりしていた。疲労感より開放感が勝ったのだ。コロナ禍も収まったので、かつてのような行動を再開したいとは思うのだが、”無茶”がきかなくなってきた。それを寂しいと思っていたが、最近、バスコ・ダ・ガマ並みの新発見、《”旅”する帰宅ルート》を開拓したのである。

 午前10時に仕事を終えると、一目散に放送センターの玄関に向かう。横断歩道を渡るとバス停がある。10時5分に新宿駅西口行きの京王バスがやってくるので、それに乗る。バスが新宿駅西口に着くのは10時30分前後だ。地下に降りて行き交う人の間を縫うようにして向かう先は小田急線の特急券発売窓口だ。

 10時40分発ロマンスカーふじさん3号御殿場行き。これに乗らなければいけない。新百合ヶ丘に停まる数少ないロマンスカーである。日付は本日、時間は10時台、行先は新百合ヶ丘、支払いは現金?それともクレジットカード?あと10分もない。タッチパネルに触れるのももどかしく急いで特急券を買い、改札口からホームへと駆けあがる。

 

 指定された車両は何号車なのか横目で確認しながら売店へ一直線。きょうはレジの前に客がだいぶ並んでいる。外国人観光客もいる。棚から缶ビールを取る。銘柄はこだわらないが、サイズはロング缶でなければならない。おい、早くしろよぉ。発車しちゃうじゃないかよぉ。なんで店員が一人しかいないんだよぉ。心の中でぶつぶつ呟きながら待って、やっと買えた缶ビールを手に乗車する。

 自分の席をさがして座り、早速、缶ビールをプシュッ!と開ける。”泊り”だったので40時間近くお酒を飲んでいない。なので、うまい!ほんとにうまい! と、一息いれている間に列車が動き出した。ロング缶にする理由?レギュラー缶だと発車前に飲み終ってしまうから。2本買わない理由?新百合ヶ丘までの乗車時間がたった19分だから。ロング缶がちょうどの量なのだ。

 ビールの残量を気にしながらぼんやり車窓を眺める。仕事の行き帰りに見慣れた風景も少し違って見える。もう多摩川だ。川幅が広がっていて水量が多い。このところ”各地で危険な暑さ、熱中症に注意”というニュースを連日、朝昼夜と出している。もう原稿を諳んじることができるくらいだ。同時に、大気の状態が不安定で局地的な大雨に警戒が必要だとも伝えている。川の様子だと上流の地域ではかなりの大雨が降ったのだろう。などと思っている間もなく到着のアナウンスが流れる。

 ふじさん3号は定刻どおり10時59分に新百合ヶ丘に到着。新百合ヶ丘には老舗と呼ばれるような古くからの店はないけれど、ひととおりの飲食店は揃っている。ほとんどの店が11時開店。10時59分着というのはドンピシャのタイミングである。

 駅と直結する建物の中に手軽な寿司店があり、きょうの昼飲みはそこに決める。ビールはロマンスカーの中で飲んでいるので最初から日本酒である。肴も注文して、さて、土曜日まで何をして過ごそうかと考える。

 読みかけのまま放り投げている本のどれから先に続きを読んでいこうか。先日買った中古カメラを持って出かけるのはどこが良いだろうか。面白い映画はやっていないか。そう言えばマティス展のチケットもらっていたけど、いつまでだったっけ。好きなことをする、好きなことしかしないと決めているのだけれど、いざ完全な自由となると、あれこれ迷ってばかりいて決められない。さっきのふじさん3号は御殿場行きだったよな。新百合なんかで降りずに、いっそのこと御殿場まで行ってしまえば面白かったのじゃないか。”超”小さな旅のささやかさをあざ笑うかのごとき囁き、唆しが聞こえたように思うのは2本目の冷酒の酔いのせいだろうか。こうしてわたしの自由時間がうだうだと始まるのである。

 

                                  ###