最近、大阪に行くと必ず道頓堀の老舗うどん屋「今井」本店に足を運ぶ。今回も、猛暑でかいた汗をぬぐい、外の喧騒が届かない小ざっぱりした感じの店内でゆっくりおひとり様をしよう。そう思った。なので腹は減っていたが、新幹線の中で昼の弁当をとるのを我慢したのだ。ところが、店はやっていなかった。前日に天神祭りが終わったからなのかなと思ったが、そうではなく、単に定休日なのだ。中之島のホテルにある店はやっているとのことだが、行くのは面倒だし、道頓堀でないと気分が出ない。ただ食べればよいのではない、気分が大事なのだ。

 今回は、ずっと疑問に思っていたことが”解決”したので、なおさら寄りたかった。”解決”したと言っても全く大したことではない。店で使っているコースターのことだ。

 顔があり、”頬かむりの中に日本一の顔”という川柳が添えられている。以前からこれは一体誰なのだろうと気になっていた。道頓堀である。歌舞伎か文楽に関係があるのだろうと思うのだが、お酒を運んできた仲居の女性に聞いても「さあ」と言うだけでわからない。店の主だった人を呼んでもらって聞けば分かるだろうが、そこまでするような話ではない。ということで、わたしにとって、ちょっとした”未解決案件”になっていた。

 ところが、ひょんなことからそれが解決した。山形県の鶴岡に行った時に古書店で見つけた本を読んでいたら、その中に答えがあったのだ。悠玄亭玉介『幇間の遺言』。遺言とあるように病床での聞き書きである。

 古典落語には『つるつる』にせよ『愛宕山』にせよ『鰻の幇間』にせよ、幇間がしょっちゅう登場する。というより、幇間という存在がなければ噺が成り立たない(吉原もそうだが)。という訳で、幇間のことを知りたくて買って読んでみたのだが、その中で歌舞伎役者についての話があった。(初代)中村雁治郎のことを、「頬かむりをさせたら、日本一」なんていわれたいい役者だった、玉介師匠がそう言っている。そして、雁治郎が演じるその「日本一」の頬かむり男は、近松門左衛門『心中天網島』の「河庄」の場での紙屋治兵衛(紙治)だと、そこまで特定されているのだ。初代・中村雁治郎。上方歌舞伎の不世出の名優で、坂田藤十郎(妻は扇千景)、中村玉緒の祖父である。

 やっと答えを見つけることができた。ただそれだけのことがとても嬉しかった。そこで、試しに「頬かむりの中に日本一の顔」とそのままをネットで検索してみた。するとどうだー

 産経新聞の《とん掘幻視行 舞台沸かせた「日本一の顔」》という記事がひっかかった。記事は「今井」のことから始めて、この川柳が岸本水府(すいふ)という人の作であること。雁治郎が演じる舞台は、新聞や雑誌の劇評で絶賛を受けるのを常としたが、作家・志賀直哉は手厳しい評価をくわえていたことまで詳しく書かれている。

 なんだ、こんなことなら最初からネット検索すれば良かったではないか。がっかりした。しかし、コースター1枚のことでこれだけ長く楽しめたのだ。それを良しとするしかない、そう思って自分を慰めた。

 「今井」の入り口には、道頓堀の喧騒とはそぐわない柳の木が植えられている。それは知っていた。しかし、そのかたわらに「頬かむりの中に日本一の顔」と刻まれた小さな石碑があることには気がつかず、新聞記事を読んで初めて知った。今回はそれを確かめるつもりもあったのだが、定休日に気が動転してすっかり忘れてしまった。

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