7月1日。今回の旅の最終日でした。旅の目的だった注連寺に行き、吹浦にも行ったので、この日は、いわば予備日。特に何をしようという計画は立てていませんでしたが、7月1日は月山の山開きで、この日から八合目までバスで行けるようになると聞いたので行ってみることにしました。鶴岡駅前を午前7時すぎに出るバスに乗り、羽黒山の入り口である羽黒随神門から羽黒山頂に。そこで15分ほどトイレ休憩した後、月山八合目に向かいました。車1台がようやくすれ違うことができるような山道を進んで月山八合目に到着したのは午前9時です。駐車場は既にほぼ満車の状態で、数十メートル先が見えないくらいの霧の中、歩いて山頂を目指す人たちが準備をしていました。

 わたしの”登山”はここまで。折り返し9時30分発のバスで羽黒山頂まで戻ります。

 羽黒山には、登りのスタート地点にあたる随神門から山頂まで、2446段、約2キロの石段があります。わたしは、この石段を登るのではなく降りるという”作戦”を立てました。理由は単純明快。その方が帰りのルートに無駄がないうえ、高いところから低いところへ移動するのですから、エネルギーの消耗が少なく楽だと考えたからです。羽黒山は、下から一の坂、二の坂、三の坂となっており、これを逆に降りていくのです。最初は元気よく、杉並木の写真撮ったりしながら三の坂を降りきって二の坂にかかります。

 二の坂には途中に茶屋があります。力持ちが名物だそうです。少し休憩していこうかと迷いましたが、まだまだ大丈夫と思い歩き続けました。ところが、だんだんと膝に力が入らず膝の関節がぐらぐらするような感じになってきました。わたしの前後には、登る人降りる人が結構いて、すれ違うたびに、こんにちわと、声を掛け合うのですが、もうそんな余裕はありません。月山に行くので2枚重ねにして着ていたTシャツは、もう汗びっしょりです。後から考えれば、熱中症の症状もあったのかも知れません。あっと思った瞬間、崩れ落ちるようにして転んでいました。意識ははっきりしていて、片肩掛けで背負っていたリュックが2,3段下の石段まで転がり落ちるのを、ちゃんと見ていました。しかし、そのリュックを取りにいけないのです。見かねた誰かが拾ってくれました。大丈夫ですか?大丈夫です。水を飲んでください。はい。山に慣れた感じの女の人が、医者が患者を叱るように言い置いて石段を登っていきました。脚が萎えてしまってなかなか立てません。やっとのことで立ち上がり、とにかく転ばないようにすることだけに神経を集中して古い石段を一段々々降りていきました。二の坂に続く一の坂は無限に続いているように感じられました。こんな体験を初めてです。

 国宝の五重塔(修理中でした)などとても見る余裕はなく横目で通り過ぎ、随神門を出て平らな地面に立てた時は心底ほっとしました。水の流れではないのです。下りは楽だと安易に考えたのが、そもそもの間違いでした。帰京してからも腿の前の筋肉が張ったままで、駅の階段を降りるのが怖いという状態が続きました。

 これが、”だるまさんがころんだ” ならぬ ”はぐろさんでころんだ”   "出羽三山” ならぬ ”出羽散々”の顛末です。お粗末な話で失礼をいたしました。

 

 PS. というような訳で、這う這うの体でバスで鶴岡駅までも戻りましたが、その頃

   には体力もいくらか回復して、駅前のフードコートの中にある地酒バーで帰り

   の列車の時刻まで庄内の酒を楽しむことができました。毎年2月に行われるの

   鶴岡・大山の新酒まつりは、新型コロナウイルスのため3年連続で中止になっ

   ています。来年こそ是非開催して欲しいものです。

                                (おわり)