そのブライトリングは、エアウルフというモデルで、現在は売られていない。ムーブメントは機械式ではなくクォーツで、針と液晶の両方が表示される。エアウルフという名前のとおり、ごつくて重く、裏蓋にジェットエンジンのブレードがデザインされている。まぁ、トップガンな感じの腕時計である。

 

 その時計が動かなくなった。電池切れだろうと思って、先月末に銀座にあるブライトリングのスタジオに持って行って預けてきた。

 きょう、その結果がメールで送られてきた。そこには、「液晶不良があり、現在バックライトが点灯しない症状がある。液晶板及び電子回路などムーブメントパーツ単体での生産が終了している為、オーバーホールの作業が出来ず、ムーブメント一式交換での対応となる」と書かれており、修理するには268,400円(税込)かかるとあった。マジか!?

この時計、日常使うには少し重いこともあって、身につける機会は少なく、乱暴に扱ったこともないのだけれど。さて、どうしますか?26万円かけて修理しますか?それともキャンセルしますか?と、メールは訊いてきているのである。そして、答えは決まっている。キャンセルである。

 このエアウルフという時計。17年前に四国の松山で買った。その直前、わたしは、東京から松山に転勤になっていた。松山という任地がどうこうということではなく、

その時の異動は、わたしにとってーと云うよりも、誰が見てもー不自然かつ理不尽に思えるものであった。もうこの齢になると、大抵のことは許し許される、つまり忘れるのだが、この時の悔しさは、今もってなかなか”恩讐の彼方に”行ってくれない。

 休みの日に、塞いだ気分で、松山の繁華街を歩いていると、ブランドものの時計を扱っているディスプレイのきれいな店を見つけたので入ってみた。若い女性の店員が相手をしてくれて、あれこれ見ていると、エアウルフが目に止まった。「カッコいいですよね、それ。松山でこの時計をする人はひとりだけですよ」。「ふーん、そうかねぇ」。たまった鬱憤を”爆買い”で晴らすつもりになったのか、自棄なのか、自分でも理由はわからないのだけれど、気がつくと「よし!これ買う」と言ってしまっていた。45,6万円だったか、もちろん、何十回かの分割払いである。

 翌朝、職場に近い停留所で伊予鉄の路面電車を降り、お城の堀端の道路で横断歩道を渡ろうとしていると、向こう側から、若い女の子の乗った自転車が近づいてくる。見ると、きのうの店の女性だ。出勤途中なのだろう。「おはようございます。きのうはありがとうございました」。さわやかにそう言い残して走り去っていく。いいところだな、松山は。くよくよしていても始まらんぞ。そんな気分になっていた。松山には、結局2年いて東京に戻った。松山を離れてからも月々の時計のローンは残っていた。

 わたしにとっての松山と言えば、道後温泉、露口貴雄さん・朝子さんご夫婦がやっていた松山市二番町の老舗バー「露口」、そして、時々、腕につけてみるブライトリングのエアウルフだった。しかし、バー「露口」は、去年閉店。64年の歴史に幕を閉じた。わたしのエアウルフも役目を終える。

 

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