わたしは覚えていないのだが、家人が言うには、わたしは、その時、家人に対して「違う国に行くのだと思って欲しい」と言ったそうだ。東京から大阪へ転勤を命じられた時のことだ。もう30年以上前になる。わたし自身は、3歳から高校を卒業するまで関西に住んだが、遊ぶのはもっぱら神戸で、大阪は苦手だった。

大阪に着任してまもなく、東京で付き合いのあった国会議員秘書のMさんと大阪・ミナミの居酒屋で飲んだ。「代議士も、会いたい言ってるから」というので待っていると、しばらくしてその”代議士”(確か落選中だったと思う)が現れ、Mさんに向かって言った。「ここは、もうええやろ。次の店に行こう。鳳啓助の別れた女房がやってる店な、あれ、名前はなんやったかな」。わたしは訊いた。「鳳啓助の別れた女房っていうと、京唄子のことですか?」。すると”代議士”曰く「ちゃうちゃう。あれは●番目や、これから行くのは▲番目や」。鳳啓助、さすが”エロがっぱ”と呼ばれるだけのことはある。それしても、えらいとこに来たなぁ。これからは、こういう空気に合わせてやっていかなあかんのかなぁ。わたしは少し暗い気持ちになっていた。

(注:唄子・啓助は元夫婦。大阪で人気だった漫才コンビ。)

 国政選挙が近くなると、報道各社は選挙情勢を分析する会議をやる。いわゆる”票読み会議”である。わたしが勤めていた放送局もそうだ。選挙担当のデスクが訊く。「(人気落語家の)桂Sは、(今度の選挙に)出るのか?」。記者が答える。「(参議院議員になっている)西川きょっさんへのライバル意識もあって、本人は出たい思いもあるようですが、奥さんが強く反対しているようです」「ふ~ん。笑福亭Nは?」「Nは、政治家になる気はないでしょう」「(桂)Bは?」「(漫才の)中田Kは?若いところで島田Sや笑福亭Tはどうや?」 ちょっとでも政治に色気を見せそうに思われる芸人の名前が次々と俎上に載せられる。「(横山)ノックは、(大阪府)知事狙いかな?」「参議院議員はもう4期やってますからね」「ノックと言えば、漫画トリオで一緒だった上岡Rもいるな?」「出れば、即当選でしょうけどね」。一体、なんの話をしているんやと思う。しかし、茶飲み話ではないのだ。当時、大阪には”お笑い票”が100万票あると言われていた。人気のお笑い芸人が出ると、選挙の構図がガラッと変わってしまう。なので大真面目な議論なのだ。それにしてもなぁ。大阪である。

 大阪人には、ことの「善悪」「正邪」より以前に、もっと大きな判断の基準があるように思う。それは、「おもろいか、おもろないか」であり、この物差しをあててみると大阪人の気質、大阪人の意識の底にあるメンタリティーがわかってくるような気がする。サントリーの創業者の鳥井信治郎の有名な言葉に「やってみなはれ」というのがあり、”やってみなはれ精神”などと呼ばれている。この言葉に「おもろいな。(やってみなはれ)」と付け加えてみると、その”こころ”が、もっとハッキリと理解できると思う。何かに挑戦しようとする時、人は不安になる。その不安を、説明的なことをあれこれ述べず、一言でふりはらってしまう”直観力”が「おもろい」なのだ。

 先の統一地方選、とりわけ関西で、維新は、有権者に「おもろい」と思わせることに成功し、自民や立憲などは失敗した。政策うんぬん以前の問題である。自民は、大阪府連の体制の立て直しに本腰を入れるそうだが、それには、この「おもろい」の神髄を見極め、自家薬籠中のものにすることだろう。それは、”お笑い票”を求めて人気芸人を擁立することなどではない。そんなことは、もはや「おもろない」のである。

そう言えば、かつて唄子・啓助が司会をしていた民放の人気テレビ番組のタイトルは、『おもろい夫婦』だった。

                                  ###