ジュエリーといえば一般的に欧米の
ブランドが良いとされている。
日本には、縄文時代から立派な宝石文化
があったのだが、平安時代を境に人々が
宝石ジュエリーをつける習慣が無くなった。
着物の文化が栄えたため、工芸品に価値を
見出したため、御上の持ち物だからとか、
土地、領土が資産だったから…など、
諸説はあるが、ハッキリとはわからない。
対して、欧米のジュエリーは、歴史的に
権威と身分を表すために宝石ジュエリーを
上手く使っていた。そして、領土も大切
だが、いざという時に持ち運びやすい動産
としての宝石は重宝された。
その欧州の宝石ジュエリーを手に取って
観ると…特にモリスが専門のルビーを観て
みるとよく分かるが、非常に高価な宝石で
できており、それらのジュエリーは、
ヨーロッパの権力のある人が、作ったこと
が一目瞭然。
「上から下を見るような優越感」
は欧米のブランドが得意とするところ
かも知れない。…しかし、
欧州の庶民には、ジュエリーで着飾る
文化は19世紀まで無かった。
私たちのような庶民が宝飾品で着飾る
文化を封建社会下でもしっかりと
持っていたのは、実は江戸時代の日本。
宝石を使ったジュエリーではないが、
かんざし、ぽっちり(帯留め)等など。
そして金で飾るのを幕府に禁止されたら
すかさず、べっ甲でかんざしを作った
ぐらいの筋金入りの文化。
栄西が、中国からお茶を持ち帰って、
100年ほど経って茶道になった。
日本には、宝飾文化はあったのだから、
宝石ジュエリーもそろそろ日本が世界を
リードする時代だと思う。
さて…冒頭の写真…
その宝石ジュエリーが、無くなっていた
日本に近代にジュエリーがヨーロッパ
から伝わったのは、いつだろうか?
「日本の宝飾史」の書籍によると…
(引用ここから)1563年に大名であった大村純忠がポルトガル船の総司令官「宝石のついた金の指輪」をもらっている。西洋の指輪についての記録としてはこれが最初である。(引用ここまで)
だそうだ。
戦国時代に殿様が指輪をつけていたとは、
意外だ。
ヨーロッパでも、宝石を着けていたの
が男性が多かったが、女性が着けるティアラ
やネックレスなどのジュエリーは、
明治時代以降だろう。
写真は、大名であった大村純忠のもの。
日本の宝飾史より引用