私たちは、家宝を持っているだろうか?
欧米でいうとHeirloom。
代々受け継がれていく家宝であり、しっかり
した価値観があるが、先祖代々自分の田んぼ
を中心に生活をしてきた私たち日本人に、家宝は?
と聞かれるとちょっと困る。
日本は、幸運なことに侵略されたことがないので、
家宝に相当するものは、田畑(土地)だった。
だから、動かない資産=不動産の信用が大きい。
言葉も通じない侵略者がやってきた欧州では、
手に持って逃げられないモノは家宝には
できなかった歴史があり、宝石に対する認識は
日本のモノとは違う。
明治維新以降、日本では、富国強兵、欧米列強
に追い付くためイメージ的な宝飾品の認識が
強く、とにかく、ドレスを着るのにジュエリーが
必要だから…と買い集めた歴史がある。
欧米人が持っているから私たちも…と集めた
日本人には、宝石は使っても古くならない
絶対的価値があることがわかっていなかった。
今でも、宝石には価値があって無いようなもの…
なんて言う方がいるが、今まで受け継いできた
お宝、そう簡単に手放すだろうか?
お宝は、簡単には売ってくれないモノだという
本質の部分は気付かなかった。
商業的につくられたジュエリーを大量に買い続けた。
一つ一つ違うものであり、価値も違う。
価値を見分けない日本人に欧米ブランドがわざわざ
「価値の高い」希少性の高い宝石を売るだろうか?
でも、宝石が商業的に広がってから100年過ぎた。
モリスは、これから日本こそ宝石文化を世界に
発信するに相応しい国になったと思う。
近い将来、日本文化に宝石道を加わえたい。
世界中の素晴らしいお宝ルビーが京都に集まって欲しい。