写真は「指輪88」(淡交社出版)
の31本目のルビーのリングの写真。
このリングを手に取った時のこと。
2つの驚きがあった。
まずは、ルビーのインクルージョン(内包物)。
そしてもう一つは、その豪華な装飾。
ルビーのカット研磨の手法こそ今とは
違うモノの、ルーペで中をのぞいたら、
つい先ほど見たルビーの内包物と何ら
変わりなく、500年以上も全く変質して
いないその耐久性。
「経年変化が無い」
という宝石の定義を思い出させてくれた。
ミャンマー産のルビーの高い価値
が世界に広まった、ルネッサンス期
から今まで、まったく変化せずに
美しく輝いている。
宝石の宝石たる所以を感じた。
これが一つ。
さて二つ目、なぜ、ここまで豪華な装飾を施した
のだろうか?
指輪88の文章にも書いたが、
1510年にビルマ(現ミャンマー)を
訪れたポルトガル人のバルボサが、
「金の如く取り引きされている」と
書き残している。
あくまでも推測だが、それまでの
宝飾品や、古い宗教家が使ったとみられる
ルビーは、欧州へ伝わって来るルートも
確立されておらず、一種のシンボル的なモノ、
国王の王冠についている宝石であり、
一般の人々が憧れる対象にはなかった。
それが、1500年代前後に変化した。
あの世界一周で有名なマゼランと旅を
したバルボサが渡緬、帰国して書いた
書物に、書かれた「東洋のお宝」の話
によって、ヨーロッパ人にビルマ産
のルビーの価値が知れ渡って行った…
「財宝」として。
さて、欧州ルネッサンス期は、金細工師の
社会的地位が高く、職人同士がその技
を競い合うことで、加工技術が飛躍的に
進化した時期で、歴史的にも稀に見る
ハイレベルな装飾を施したジュエリー
が見られる。
写真のルビーリングもこの時代のモノ。
ルネッサンス期に、とび抜けた価値を
認められていたのがミャンマー産の
ルビーであり、メディチ家のゴールド
スミス、チェリーニの書では、ダイヤ
モンドの8倍、サファイアの26倍
であるとの記述がある。
その時代にとても大切にされた
エメラルドでさえルビーと比べると
半分だったとそう。
そう考えて行くと、ルビーのリングの
装飾が驚くほど豪華なことにも
納得がいく。
ほぼ同じ時期につくられた結婚指輪
ギメルリングも同じく豪華絢爛だった。