列強と呼ばれた西洋の軍隊が日本に迫っていた江戸末期から明治維新。
西洋の植民地政策により東南アジア、中国と植民地化されていく中で、
西洋化していくことが、先進国入りするための手段であり、国を守る方法だった
のであろう。富国強兵を合言葉に、特に町で働く男性は、それまで慣れ親しんで
いた普段着である着物を脱ぎ、洋服を着始めた。
今では、洋服がスタンダードなのは、その時に選んだ国策だったから
仕方なかったのだろう...でも、ミャンマーのように今でも民族衣装を普段着として
使っている国は、いいな…と素直に思う。今となっては、民族衣装を誇らしく
着こなす民族の方が西洋(列強)に出かけた時に一目置かれる存在になる、
特別な方だと認識されるとは、なんとも皮肉な話。
さて、皮肉な話がもう一つ...今から130年ぐらい前に西洋化していった日本ですが、
国策として「軍事的にも文化的にも見下されない」国家づくりを目指した。
一万円札の福沢諭吉公が唱えた西洋化だったが、唯一、文明開化しなかったのは
西洋の文化でも頂点にある「宝石文化」だった。
よく考えてみればよく分かることだが、西洋では、国と国が争った時にも戦利品は
古来より宝石。 代表的なものだと英国の象徴である「インペリアルステートクラウン」
の赤い宝石も「ブラックプリンス」と呼ばれるエドワード王子がスペインと戦った時の戦利品。
西洋では、どんな宝石を持っているか?は、その家の権威を示すもの。
何世代もかかって収集した大切な「財宝」をにわかに宝石を「爆買い」しに来た日本人に
本当に価値のある宝石を販売するだろうか?
(私たちモリスが専門とするルビーを物差しに、どの様な宝石を収集してきたのか?を
欧州に残っているもの、日本に残っているものを見続けている)
残念ながら、明治、大正、昭和と日本人が買い続けた宝石ルビーのほとんどは、
1888年にフランスのヴェルヌイ博士が発明した人工合成石であり、今では誰もが
宝石としては取り扱わないモノばかり。50年ぐらい前からは、人為的に加熱処理
して美しさを改良したモノ。どちらにしろこの100年ぐらい商業的に発達したものばかり。
日本では、「宝石には価値があってないようなもの...」と宝石がお好きなコレクター
でさえ豪語する奇妙な国になってしまったのは、明治時代の国のリーダーたちが、
宝石文化(宝石の定義)を分かっていなかったから。
(一般人がそれを指摘できる時代ではなかったはず)
欧州では、宝石は「天然で美しく」「希少性が高く」「何千年経っても変わらない石」、
世代を超えて価値保存できるものだというのがその定義。
東京オリンピックも大阪万博も日本で開催されるのは、とても素晴らしいことだが…。
100年前にやり残したこと..未だ世界第三位の経済大国である日本に.宝石文化を
開花させることも、とても大切だと思う。