
モリスミャンマーのパートナー、イエット氏と彼の
既に亡くなられた、お父さんにお話しを聞いた時の写真。
第二次世界大戦中にビルマに駐留した日本軍の兵士を慕い、
日本兵のことを「先生」とおっしゃていました。
日本兵の皆さんは、「心」があって一緒に田んぼを耕して
日本兵の皆さんは、「心」があって一緒に田んぼを耕して
くれて、一緒にお寺にお参りに行ってくれた、仲間だったそう。
それが、戦争が終わり、連合国がビルマにやってきた時、
敗戦した日本兵を攻撃するように…
と連合国軍からの指令があったそうだが、「お腹が痛くなった…」
それが、戦争が終わり、連合国がビルマにやってきた時、
敗戦した日本兵を攻撃するように…
と連合国軍からの指令があったそうだが、「お腹が痛くなった…」
と仮病を使って、多くのビルマ兵は病院に隠れてしまったそう。
「同じ釜の飯を食った先生、仲間を攻撃できるわけがない」
と国の方針に背けない立場ながら、一生懸命に日本兵を
「同じ釜の飯を食った先生、仲間を攻撃できるわけがない」
と国の方針に背けない立場ながら、一生懸命に日本兵を
守り続けてくれたのが、イエット氏のお父さんであり、
たくさんのビルマ兵だった。
「ビルマの竪琴」という映画がありますが、全くその通り
「ビルマの竪琴」という映画がありますが、全くその通り
だったと。
そして、今のミャンマーの首都ネピドーに行った時のこと、
戦後に無償で日本にお米を送り続けてくれた田んぼが残って
いて案内して貰った。
私も、その事実を知らなかったし、日本の人に知ってもらい
たいと思う。