縄文時代の「火焔土器」(上)と弥生時代の土器。

 

同じ日本なのに縄文時代と弥生時代でこれだけ

 

違うのは何故なのか?

 

色々な説があるが、採取、狩猟で生活した縄文人と

 

渡来人から学んだ稲作を進めた弥生人の違い…

 

というのが学校でも学ぶこと。

 

祭事で使われたのが縄文土器なのに対して、

 

実際の道具として使われた弥生土器という説もある。

 

どちらにしろ、青森県の五所川原にある縄文遺跡には、

 

古代に中国の使者が、学びに来ていた形跡がある

 

そうで、何でも、「戦わない人々」と尊敬されていたそう。

 

戦わずに歓迎して、渡来人と混ざっていった縄文人。

 

そして、その頃から宝石文化「勾玉」があった日本。

 

縄文時代に生きた我々の祖先が大切にした感性が、

 

人間中心で効率を求め続け、環境が悲鳴を上げる昨今、

 

これからの進化の扉を開けるカギなのかも知れない。