江戸時代…

ヨーロッパでは、一部の限られた貴族などの

特権階級がジュエリーをつけ、権力を表したが、

日本では、その装身具の素材などに工夫を凝らして、

町民が、堂々と自分たちの手の届く範囲で一生懸命

にジュエリーを作って飾っていた。

江戸幕府から、金を使った装飾品(ジュエリー)

の禁止令が出たらべっ甲(亀の甲羅)を使ったのが

いい例。

あの手この手で、身を飾ってきた。

装飾品を大切にするという意味では、日本は

ジュエリー先進国だったはず。

それでは、なぜ日本では、欧米の宝飾ブランドの方が

信頼性が高いと思われているのか?

… 私は、宝石の価値に自信が持てないことも

一つの原因があると考える。

明治維新の西洋化で、洋服に着替えたものの、

宝石ジュエリーの価値を支える宝石の品質について

学ぶのを後回しにしたのでは。

…というより、西洋化していく流れの中で、西洋の

モノは良いもののハズだと盲信していたのかも。

その時代に、宝石の価値を査定できる日本人は

どのくらいいたか?

残念ながら、ルビーもサファイア、エメラルド、

ダイヤモンドのどれも日本では産出しない。

(宝飾品のレベルでは…)

そして、価値のわからない日本人に、西洋の宝石商は

本当に良い品質の宝石を売っただろうか?

そう考えると、いい宝石ルビーでジュエリーを

発信する意義を感じる。

誤解の無いように、欧州、インドを始め世界中に

素晴らしい宝飾文化はあるのは分かった上で…



写真は、千葉市美術館の橋口五葉 温泉宿と

名付けられた絵画で、大正9年のモノです。

女性は赤い石がついた指輪を着けているが、

いいルビーだったのだろうか?