「日本装身具史」の著者、露木先生に
色々とお伺いしていくなかで、
庶民のジュエリー文化、歴史が長いのは
日本だったのでは?
と感じています。
ヨーロッパでは、一部の限られた貴族
などの特権階級がジュエリーをつけた
のですが、日本では、その装身具の素材
などから、町民であっても、自分たちの
手の届く素材で一生懸命にジュエリー
で身を飾って来ました。
幕府から、金を使った装飾品
(ジュエリー)の禁止令が出たら
べっ甲(亀の甲羅)を使って見たり…
あの手この手でジュエリーをつくって
身を飾ってきました。
そういう意味では、庶民のジュエリー
文化では、日本は、先進国だったの
かも知れません。
写真は、千葉市美術館の
橋口五葉 温泉宿と
名付けられた絵画で、大正9年のモノ。
女性はしっかりとルビーの指輪を
着けています。
大正9年には、着物姿の女性がルビー
を着けていたことが分かります。


色々とお伺いしていくなかで、
庶民のジュエリー文化、歴史が長いのは
日本だったのでは?
と感じています。
ヨーロッパでは、一部の限られた貴族
などの特権階級がジュエリーをつけた
のですが、日本では、その装身具の素材
などから、町民であっても、自分たちの
手の届く素材で一生懸命にジュエリー
で身を飾って来ました。
幕府から、金を使った装飾品
(ジュエリー)の禁止令が出たら
べっ甲(亀の甲羅)を使って見たり…
あの手この手でジュエリーをつくって
身を飾ってきました。
そういう意味では、庶民のジュエリー
文化では、日本は、先進国だったの
かも知れません。
写真は、千葉市美術館の
橋口五葉 温泉宿と
名付けられた絵画で、大正9年のモノ。
女性はしっかりとルビーの指輪を
着けています。
大正9年には、着物姿の女性がルビー
を着けていたことが分かります。

