
夜になると、建物の壁などで、
「キュ、キュ、キュ、キュ!」
と鳴き声を出すヤモリ。
電灯などに集まってくる虫を
待っています。
私はかわいいので「ヤモリ」は
好きなので見ていると!
バッタが近くにとまりました。
バッタも自分が大きかったので
油断していたのでしょう。
ヤモリが目にもとまらぬ速さで
…
自分の頭よりも大きなバッタを
「ガブリ…」
可愛い顔をしてやるな~と
感心しましたが、その後、
美味しそうに食べている…
というよりも、まだ生きている
バッタとお互い命がけで、
生きるためにファイトです。
しばらくたって、
バッタも途中で、ギブアップです。
何となく、自分で
「仕方ない…食べられるとするか…」
と決めたように感じました。
「あとは頼んだよ、喰われて
やるんだからな…」
…とは言っていませんでしたが、
そんな気がしました。
ヤモリの体をつくる栄養になって
行きます。
この様な光景を目にするといつも
「私たちは、いつも生きるために
何かの命を頂いている」
ということを感じます。
ぼーっとしていると、
このかわいい「ヤモリ」くんも
いずれは、鳥などの
おごちそうになるわけです。
私たち人間も、毎日頂いてます。
おにぎりも、焼肉も、焼き鳥も…
それが、
お野菜であっても、お米であっても
同じ事です。
一生懸命に花を咲かせて生きて
いる命です。
無駄に食べられたくない、
と思っているはずです。

おいしいおにぎりを頂いて、
フッとミャンマーで見たヤモリの
顔を思い出したのは、
そのお米が「A米」…苗だった頃から
育てた人たちが、気持ちをこめて
握ってくれた、
「ザ.おにぎり」だからです。
苗だった頃の感じがするのです。
田んぼ田植えをして、稲刈りをして…
「頂きます」という気持ちがしました。
本当に美味しかったですし。
スーパーでパッケージに入って
山積みされているお米を見ても
感じなかったことです。