ヴィクトリアン
ヴィクトリアンすなわちヴィクトリア時代とは、正確にいえば1837年にヴィクトリアが、女王として即位し、1901年に崩御するまでの64年間を指す。この世界的にも例の少ない長い統治期間中、産業革命を終えた英国は、世界をまたぐ大植民地帝国を作り上げた。文字通り、英国の最盛期である。この時代の最大の特徴は、王侯貴族と僧侶に加えて産業革命で財を成した人々が新しい富裕層として加わったことだ。素材と技術、デザインそれぞれの面で従来と完全に異なる多様さを見せる。この意味で、近代のジュエリー産業は、ここに始まると言えるだろう。


ヴィクトリアン前期
1837年、若い女王が即位し、やがてアルバート公と結婚して9人もの子供に恵まれた時代、女性のファッションリーダーは、ヴィクトリア女王でした。その初期のジュエリーは、まだ、素材の制約があったものの明るさに溢れており、大粒のガーネットや明るいロイヤルブルーの七宝などが使われた。デザイン面では、女王が好んだ蛇が流行する。指輪や腕輪、ネックレスなど多くジュエリーが今に残るが、デザインの基本的テーマはロマンティックでナチュラルなもの、つまり月や星、花、木の枝、鳥、リボン、ハートなどの手慣れたものが中心であった。文字遊びのフランスから移入されて流行する。この時代に忘れてはいけないのが、1851年にロンドンで開催された世界初の万国の成功だ。多くの美術工芸品が展示されたことも大きいがこれを通じて世界中の工芸品が入り交じったことにより、デザインや素材の面での広がりを見せた。オーストラリアとカリフォルニアで新しい鉱山金鉱山が発見されて、素材の制約も少しずつ消えていった。
1861年、女王の夫君であるアルバート公が急死すると女王の生活も一転して暗い喪の世界へと入り、上流階級に服喪の風習が強くなり、それを契機として、喪のためのジュエリー、モーニングジュエリーが大量に作られたが、王室の喪を気にしない新しい階級の人々は、機械による量産化の始まりと新たに登場した素材で開かれた新しいジュエリー市場を形成しいった。

ヴィクトリアン後期
ゆとりを持った人々が、旅行をすることによって、各地の土産品のようなジュエリーが英国にもたらされる。イタリアからは貝のカメオや珊瑚、モザイクが、スコットランドからは多彩な色のアゲート類をつかったスコティッシュ.ジュエリーが、ボヘミア地方からは、ボヘミアン.ガーネットのジュエリーが持ち帰られた。1860年代には、ダイヤモンド鉱山が南アフリカで発見され、70年代になるとその新しい鉱山からのダイヤモンドが欧州市場に登場して素材面での制約は消える。そして、それまでの店主と顧客が相対で話し合って作るジュエリーから、お店がデザインし作ったモノを店頭に陳列して販売する時代になった。今のジュエリー業界を産んだ時代であった。

東京美術 ヨーロッパ宝飾芸術 (山口遼氏著)より引用
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