宝石ルビーの価値のお話。。。。
今どき、価値という言葉を使うと、
資産(交換)価値がある、精神的価値がある。。。
と自分たちが理解できる枠の中にはめて
価値を感じようとします。
でも、それは、私たち個人にとって価値がある
かどうか?というモノサシを持ってみた場合。
今の私たちの生活の中にある他の価値がある
と思われているものと比較して、価値があるか
無いか?と見ていく視点です。
使って生まれる価値(使用価値)
交換する価値(資産価値)
個人的に感じる価値(精神的価値)
しかし、。。。どうなのでしょうか?
使用価値といえば、宝石ルビーに関しては、
身に着けていると、皆が褒めてくれるから嬉しい価値。
つけているとなんだか安心する(お守り的価値)
アクセサリーとして使える価値。
色々あります。
資産価値といえば、貨幣に換金できるか、
他のものと交換できるか?という価値ですから、
必然的に、「どこでも飾ってあるもの」
「みんな持っているもの」では価値は低いこと
になります。
ちまたで「非加熱ルビー=加熱処理されていない
と推定されるルビー」が高く販売されるのは
その希少性に価値を見出しているからだと
思います。(もし本当に無処理なのであれば。。。)
もっとミクロで見てみれば、普通の人では
見分けられないぐらいの同等な品質を持った
ルビーが2個あって、どちらがいいですか?
。。となって片方が有名なブランド品。
もう片方が、聞いたことも無いブランドの品。
どちらが、価値が高いと判断するのでしょう。
これは、ブランド価値。。っていうのでしょうか?
くれた人が、もう居ない形見的な価値もあります。
おばあちゃんのいつもつけていたルビー。
大きなのっぽの古時計的な価値です。
あの大きなノッポの古時計もおじいちゃんが
大切にしていなかったら、ただの産業廃棄物に
なっていたかも知れません。
価値という言葉をキーワードにしてもルビーは
色々な事を教えてくれます。
でも、確かにいえることは、
ルビーは、人が創り出せない「美」なのです。
富士山みたいなものを指につけている。。。
感じでしょうか?
。。。。どういうオチなのでしょう。(失礼)
とにかく、
個人で消費するものではありません。
富士山のように見て楽しんで、
なるべく美しい姿で次の世代に残す義務がある
のです。

今どき、価値という言葉を使うと、
資産(交換)価値がある、精神的価値がある。。。
と自分たちが理解できる枠の中にはめて
価値を感じようとします。
でも、それは、私たち個人にとって価値がある
かどうか?というモノサシを持ってみた場合。
今の私たちの生活の中にある他の価値がある
と思われているものと比較して、価値があるか
無いか?と見ていく視点です。
使って生まれる価値(使用価値)
交換する価値(資産価値)
個人的に感じる価値(精神的価値)
しかし、。。。どうなのでしょうか?
使用価値といえば、宝石ルビーに関しては、
身に着けていると、皆が褒めてくれるから嬉しい価値。
つけているとなんだか安心する(お守り的価値)
アクセサリーとして使える価値。
色々あります。
資産価値といえば、貨幣に換金できるか、
他のものと交換できるか?という価値ですから、
必然的に、「どこでも飾ってあるもの」
「みんな持っているもの」では価値は低いこと
になります。
ちまたで「非加熱ルビー=加熱処理されていない
と推定されるルビー」が高く販売されるのは
その希少性に価値を見出しているからだと
思います。(もし本当に無処理なのであれば。。。)
もっとミクロで見てみれば、普通の人では
見分けられないぐらいの同等な品質を持った
ルビーが2個あって、どちらがいいですか?
。。となって片方が有名なブランド品。
もう片方が、聞いたことも無いブランドの品。
どちらが、価値が高いと判断するのでしょう。
これは、ブランド価値。。っていうのでしょうか?
くれた人が、もう居ない形見的な価値もあります。
おばあちゃんのいつもつけていたルビー。
大きなのっぽの古時計的な価値です。
あの大きなノッポの古時計もおじいちゃんが
大切にしていなかったら、ただの産業廃棄物に
なっていたかも知れません。
価値という言葉をキーワードにしてもルビーは
色々な事を教えてくれます。
でも、確かにいえることは、
ルビーは、人が創り出せない「美」なのです。
富士山みたいなものを指につけている。。。
感じでしょうか?
。。。。どういうオチなのでしょう。(失礼)
とにかく、
個人で消費するものではありません。
富士山のように見て楽しんで、
なるべく美しい姿で次の世代に残す義務がある
のです。
