ピース、ハピネス、プロスペリティ、そして デモクラシー
秋田市立土崎小学校一年(1957年、昭和32年)運動会の前、全校生徒で歌う「若い力」の歌詞の意味を、担任の樋渡尚子先生から教わったわたくしは、
二年後転校先の東根市立神町小学校(山形県)の運動会で皆が歌った「スポーツ県民歌」を聞いて、戸惑ったことを今も覚えている。「・・・・・、新生日本、・・・」
もうすぐ9歳になろうとしている幼いわたくしにとっては、「・・・・・、新生日本、・・・」はあまりにも難解な部分だった。「生まれ変わった日本」の意味なのだと、両親から説明を聞いたのだが、両親や小学校の昔流の教育(今思い出してみて)に基づく日々の生活をおくるわたくしにとっては、しばらく理解できずじまいであった。
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4歳位の頃、母に連れられて近くの田んぼにセリを摘みに行った。セリはあぜ道にもあったのだろうが、記憶では田んぼの中の無数の丸い水たまりのような池の縁から摘んだ。
母「ボク、池を数えてごらん。」背丈が1メートルにも満たないわたくしは周囲を見渡し十幾つを数えたのを覚えている。
母「アメリカさん、グラマンが爆弾を落としていったんだよ。」
母は戦時中村山市楯岡(山形)に住んでおり、その時近くの神町空港の施設を襲うグラマンを何度も見ていたから、この爆撃の痕もグラマンだと勝手に判断したのだろう。
実際は、1945年昭和20年8月14日真夜中、15日に日付が変わる深夜、B-29が日本石油の基地があった土崎を絨毯爆撃した事を、最近になって知った。
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新生日本、土崎、神町、爆撃、アメリカ、
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神町小学校に転校したわたくしは、地元からキャンプと呼ばれた進駐軍(米軍)駐屯地付帯の米軍家族がかつて住んでいた洋風住宅に住んでいた。
そして、30、40代の働き盛りは米国企業に身を置き、日米経済戦争構造協議の真っ只中で、大袈裟ではあるが米軍側一兵卒として日本企業と白兵戦を戦った。
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自由な時間を持てるようになった今、「ピース、ハピネス、プロスペリティ、そして デモクラシー」を念頭に置きつつ
【世界の一員としての日本(日本人)、抗争が絶えない人類「ヒト」のサガ、以上二つの関係】
について、じっくりと考えていきたいと思う。
ひょっとすると、「非常識で、とんでもない展開」になるかもしれないが・・・・。
以上、第64回NHK紅白歌合戦(AKB)を観ながら、
