こんばんは😃🌃

森瀬真理です。


今日はごく個人的な私の話っていつもだけど☺️


3月22日に『春は出会いと別れの季節』という記事を書いて、まんまと翌日に事は起こり


この度、産まれる前から私の中での

最重要で最優先だった『仕事』という呪縛から解放されました。


我が家は自営業で店の2階が住まいだった。

祖父母の商売の手伝いだったので、お嫁さんの母は働けど働けど貰えるのは雀の涙


いまだに母は私に苺を買ってあげたくてもお金が無くて買えなかったからと言って季節になると苺を買ってくれる。


母は必死に働いた


私はお腹にいる時から店に出て、産まれると店先のベッドでお客様に可愛がられた。

眠ると2階の住まいに移され、目が覚めて泣いても母は来ない。


母の話ではお客様から『待ってるからいいから赤ちゃんのところに行ってあげて』と言われるほど必死に働いた。


その後バブルで仕事が忙しくなり、店の2階はスペースの問題で引っ越す事になった。


昭和のバブル期にすきま風の入る汲み取り式トイレの平屋で私は保育園から鍵っ子になった。


お腹がすいても母は仕事、帰ってきても忙しくしていて、近くに行くとジャマだと怒られて


ご飯をもらった後も帳簿をつけたりでとにかく忙しかった。

それでもその頃の気持ちを思い出しても、今になって改めてみても愛情はあって育児放棄の真逆の必死に私を育てるために働いていた。


それにより私は

仕事が何よりも重要、自分よりも優先するべきものになった。


父はよく『お客様は神様です。世の中の全ての人がお客様です』と言って小柄な体を直角になるまで一人一人に頭を下げていた。


私は自立心の強い気質が形成された。


30年前に社会人になり、当然必死に働いた。

何度も体を壊して入院したりしてもそれでも必死に働いた。


更に20代で付き合っていた彼と同棲をした頃、家賃と光熱費は彼

その他は私が出していて使っている金額は私の方が多かったのに

彼がいないと暗くなっても電気をつけれない。トイレの水を流すのも気がひけて近所のスーパーに行くくらい養われるとか人が働いたお金を使う事が出来ない人間になっていた。


反面、人にお金を出すことは全く抵抗が無く後輩や部下たちに差し入れや食事も出していた。


必死に働いて片っ端から人に使う。そんな感じ。


でも、犬たちとの出会いと父の他界で私は少しずつ変わった。

会社にもこれ以上働きすぎで体調崩すを繰り返すのはさすがに迷惑だし。


ライフワークバランスって言葉が世の中にも出てきて、アニマルコミュニケーションやレイキの勉強をはじめた。


それでも現実の働き方は残業が減ったりしても気持ちは変わらず今年の春の変態まで続いた。


長くなるので分けます。

②に続く