こんばんは😃🌃
森瀬真理です
今日は番外編です。
ベビーな内容になるので、メンタル安定してない方は読まないでください。
私自身、何年も健康に過ごしてきたのに今回の出来事はあまりに極度のストレスで、体調崩しました。
月初からの体調不調が日ごとに回復していく様子が楽しいくらい順調だったのに
この出来事で顔面が一気に炎症を起こして中耳炎と急性副鼻腔炎と歯槽膿漏が一辺にきたみたいな。鎖骨や脇の下のリンパ節まで痛みが出ました。
ほぼ断食をしながら様子をみつつ手を当てて徐々に回復していますが、これだけ症状が出ていることからも、そういうことなんだと感じています。
前記事で、犬でも人でも同じようにエネルギーが影響しあっている。ということを書きました。
エネルギーの流れが見えるようになるといくつかの法則があることがわかります。
前記事に書いた通り
強い方から弱い方に流れる。ということ。
そして、
お互いにどの程度気になる相手か、これはエネルギーラインの太さ
そして、
周波数帯が被っているか、これは簡単にいうとポジティブ度、ネガティブ度みたいな感じ
そして、
全体的に高い次元(ポジティブ)なものより低い次元(ネガティブ)な方が重たくて伝播しやすい。
なので、体と心と魂だったら
体の不調が最も多く影響する。
以前にチラッと見たもので
肉体への暴力と言葉の暴力は同様に脳にダメージを与える。かつ言葉の暴力はより深部の脳にダメージを与えるため、回復により時間がかかる。というのがありました。
個別の状況でまだまだありますが、大まかにそこら辺の事を踏まえて
風邪から回復して数日
1人の女性が私を訪ねて来ました。
同世代。名前も顔もわからない。
彼女は何をするでもなくただ3分位話して帰って行きました。
内容は
25年ほど前の共通の知人が10年以上前に30代の若さで亡くなったと。
伝えに来た女性の事は帰った後も名前も顔も思い出せないまま、亡くなった方の事はフルネームどころか鮮明にフラッシュバックしてきた。
その話をするためだけに現れた女性。
しかも10年以上たった今になって。
私は思いました。
『また人を殺してしまった』
この亡くなった方とはずっとウマが合わず
最後には盛大にやりあったんです。
相当なダメージを与えてそれきり。
その10数年後に病気で亡くなったと。
若気の至りなどという言葉で表せるものではない。その時は私は私の正義を貫いたと思ったいた。
でも、ケンカですよ。昭和のえげつないケンカ。
勝敗は当然私が圧倒的に相手にダメージを与えて私の前から姿を消した。
どんな正義であっても、どんな正論であっても相手を傷付けているならそれはやっぱり違うと今ならわかる。
戦争だってお互いの正義だからね
と、この記事を書いていたら
『本人の意思に反して死ぬことはない』と守護神様。ひさびさの守護神様に引き戻される。
そうですね。そうですよね。
本人の意思に反して死ぬことはないって事象も今まで何度も学ばせてもらっています。
その通りです。
その亡くなった方にとって必要な必然だった。
そして、今このタイミングで私の耳に入ってくる事にも意味がある。
沢山の知人の中で、その後の事などわからない人がほとんど。なのにわざわざ知らせがくる。
私も私で学ばなくては。
どんな正義であってもどんな正論であっても相手を傷付けているならそれは違う。
何故ならやっぱり私は強い力を持っている。
なんともない小動物みたいっておもう人もいる。
でも、私の力の強さはいまだに制御しきれていないと思う事が多々ある。
鈍らせるとかとりあえず鎮めるとかしてる。
解放したらまだまだ手におえる気がしない。
瞬間で痛みや悩みを消すことも出来るけど
低い重たい波動を爆発させたら、相手を破壊する。
怒りの波動は相手の寿命を確実に縮めます。
一旦のダメージを受けて危機を感じ逃げてくれたので何とかなったけどって相手は山ほどいる。
過去世の何代もブラックシャーマンで、祖母も母も魔女の家系に産まれた私の力は使い方を間違えたら偉いことなのです。
その事に気が付いていなかった20代。
その20代があったからこその今。
でも『また人を殺してしまった』
守護神様のひと言が無かったら、この記事書けなかった。
この世の法則は
寸分の狂いもなく全てが巧妙に絡まり合う必然。
だからこそその方が亡くなった事に私が何の関係もないということはない。確実に影響はしているのです。
そーね
西洋心理学的にも人には人生に三回の人格形成期があって若年成人期は最後の人格形成期。
その大切な時期に多大な刺激を与えたことは間違えない。
私にエネルギーが見えるのは、厄介なほど力が強いからって思うと納得する。
どう使うか?
誰もいない山奥でひっそりと暮らしたい。
けどね。
落ち込んでる暇なんて無いからね。
とっととやることやらないとね。
てめぇのケツはてめぇでふくしかない。
お付き合いくださり恐縮です。