こんばんわおねがい

 

森瀬真理ですビーグルしっぽビーグルからだビーグルあたま

 

前置き無しで本題いきます。ややこしいと思いますが頑張ってどうかお付き合いください。

 

 

幸せになりたいと望む

 

この言葉は二つのワードでできています。

一つは【幸せになりたい】  もう一つは【望む】

 

 

ブログを始めて、他の方の記事を読んで勉強させてもらっている中で、たびたび見かけるこの二つのワード

 

こういったものを目にした時に自分の中にその感情があるかを探すのですが現状見つからないです。

 

幸せになりたいかと自分に聞くと、返ってくる答えは『今が十分幸せドキドキ

 

そして、思い返しても過去にも今もそう望んだことは無いです。

 

 

いくつかの人生のターニングポイントを経て、自分の寿命を悟った時、それと同時に私の陰陽のバランスが反転しました。

2年前43歳の時です。ここが半分だという事、まだ49VS51の法則にのっとってギリギリのラインを超えたところでしたが、明らかに違いました。

 

ちなみに、この自分の寿命も高いお金を払ってプロに応え合わせしちゃいました。自分がキャッチした事が真実か寝言か初めのうちは事によっては確認したくなっちゃいまして。

 

 

まず、

以前の記事でミカンに例えて書きましたが、幸せって言葉がそこそこ巷にあふれていて解釈の幅が広すぎて何が幸せなのかわかりにくい。

 

 

 

 

私のイメージでは、今になって思えば

 

高田馬場の○○ってラーメン屋がマジでバリクソうめぇんだよ!!と言われてもわざわざ時間かけてそこまでいかなくても、近所もまあまあ旨いし。とか。

 

レイキやったらすんごいいいこと山盛りあるよ~っていくら言っても、なんかよくわからないし。みたいな幸せも実際に自分が味わわなければ理解できないものでした。空を掴むというか。

 

 

 

 

幸せや健康になりたくてレイキの伝授を受けたわけではなく、愛犬との約束を守るために始めました。

 

その結果、自分の過去性やインナーチャールドの声、生まれてきた訳、使命などが見えるようになり、すべての出来事が繋がり、その壮大さと綿密さ、

 

守護神様たちや犬たちの純粋さに触れる中で癒されていき、気が付いた時にはこれが幸せという感覚なんだと感じることができるようになっていました。

 

それまでに思っていたものとは全く持って別ものでした。

 

 

 

しかも、

 

過去記事の【アニマルコミュニケーションができるようになったわけ】でも書いたようにフォーカスポイントが違うというか

 

なりたいと望む時点でそうではないことを自分の中で前提として定義してしまっているように感じます。呪縛かかってます。

 

 

 

反転した私は、考え方も変わりました。

 

幸せになることはこの世に生まれてきたすべての人に共通する課題であり、一人一人がその為に成長していくことが、その人と関わる全ての人に影響を与えている。

 

飼い主が幸せなエネルギーに包まれた状態であることが、エネルギーに敏感な犬や猫にとっては同様の影響を受ける。

認識できていなくても母親も上司も同じです。

 

職場で上司がイライラしてるとストレスなのはわかりやすいと思います。

 

イライラだけでなく、悲しかったり寂しかったりしたら、それも同じように伝わります。

 

心配、不安も同じで親が子供を心配するのは不安感情であり、心配するより信じてあげられるようになったら、その子のありのままのその子らしさをそのまま許して認めて愛してあげたら親も子供も軽くなるのにと感じます。

ここら辺はまた別に書きます。

 

 

 

そして、最も多いのは自己否定、自己犠牲です。

今は学校教育やビジネスセミナーでもセルフラブや自己肯定感が着目されています。

 

 

農耕民族である日本の国民性。お侍様やお代官様に楯突いたら打ち首です。生きていくために苦い水を自ら飲み長いものに巻かれるしか他に方法はなかった。戦争敗戦国である日本。どんなにつらくても万歳です。非国民となれば当人だけでなく生きていくことはできません。

 

 

それらによって起こる同調圧力。出るくぎは打たれる中で自己犠牲は美徳であるという本音と建て前の文化が根付いています。

日本語の慎ましく美しいと言われる部分です。良いとか悪いではなく経緯として見ています。

 

 

この時代のこの場所に生まれたことで環境によって作り出された概念に縛られていることが分かりました。

 

 

何故分かったか、犬や猫たちの死生観が人間とは全く違う事をアニマルコミュニケーションによって知り

(そもそもの概念が全く違います)

 

リーディングによって自分の過去性の映像をありありと見て、人は輪廻転生があり生まれる時代や場所によって全てが違うという事を知り。

 

世の中の全てに良いも悪いも無ければ事の大きいも小さいもないことを知りました。

 

 

今は、自己愛の欠如は他者への悪しき影響になっている。私が私らしく楽しく幸せになることが最も迷惑をかけないことになるということを知りました。

 

なので、いちいちふれ回る必要は無いけれど、楽しく幸せになることは悪いことでは無いという勘違いから解放されたのです。

 

同じ会社で働き、同じような毎日に見えても中身は全く逆です。この歳になってたどり着いた幸せの意味。まさに感謝です。

 

 

幸せを求めたのではなく、辛い思いをした分感謝を学び、だからこそ何か役に立ちたいと学んだ結果、気が付いたら幸せになっていた。のが今の私です。

そして、私が幸せであることそれ自体が何よりも大切な犬たちの健康と平安の日々をもたらしてくれています。

 

 

 

ミランダカーが言ってました『感謝の気持ちの分だけ幸せになれる』と。

ミランダは親日家でレイキヒーラーでもあります。別に友達ではありません。

 

 

今日は構成も文章もひっちゃかめっちゃかで、もうめげます。『望む』は後編に続きます。

 

 

 

最後までお読みくださりありがとうございます。