子供の頃、知り合いのお寺に1~2年ほどお祓いに通っていました。
桜井識子さんのCDを聴くと、その頃のことが思い出されます。
小学校低学年だった私は、そこの住職だった尼僧さん(おばちゃん と呼んでいました)が
祓いの祈祷をしてくださる間、聞こえてくるお経が面白くて
ひそかにぷークスクスと笑っていました。
そして読経中に蝋燭の炎がシューッと上に伸びたり
溶けた蝋が龍の形になったり
おばちゃんが印を組み九字を切るのを見ることに夢中でした。
で、祈祷が終わるとお茶を頂きながらベラベラと喋りまくり
お寺で飼われていた犬と走り回り
お腹が空くと、そこの娘さん(あの頃高校生と中学生だったと思います)
にご飯を作ってもらい・・・。
あ、箸の持ち方を躾てくださったのはここのおばちゃんでした。
しかし、今思えば本当に本当に良くして頂きました。
いくら(母方の)祖母の代から繋がりがあったとはいえ(檀家ではありません)
毎週毎週こんな子供が来るのです。
しかも3000円握りしめて行っていたので、その金額でしてくださっていたのでしょう。
そして何が憑いていたかというと
おキツネさんと、20代で亡くなった父方の祖母だったと言われました。
おキツネさんは、私が神社に遊びに行って、ご神木に登ったり、境内の灯篭におしっこをかけたり(女の子なのに!そしてそういう事をしていた記憶が確かにある・・・)した為に怒ったそうで・・・・これはもう・・・私が完全に悪い・・・。
おばちゃんに大層叱られました。
祓われてしまったキツネさんに本当に申し訳ないことをした、と今になって思います
祖母の方は、戦時中父が2歳頃に満州で流れ弾に当たり亡くなっています。
祖父は一人で幼子2人(父と伯母)をみることができず、終戦前に日本に帰ってきました。
もし終戦まで満州にいたら、幼子2人を連れて無事に帰ってこれたかどうか・・・
父が無事に日本で育ったのは祖母が亡くなったからだと何度も聞いていました。
そして、すぐに祖父は再婚したのですが
その方から父と伯母はひどい虐待を受けて育ったらしく。
また、父が大人になってからも色々とあったようで。
その事を悲しく悔しく思った祖母は上にいけずにいたらしいのです。
(ちなみに「もりさわ叶和」というのはこの祖母の旧姓の時の名前です)
多分、時間がかかったのはこの祖母の方だったのではないかと思います。
うちに飾っていた祖母の写真の顔が柔らかくなったのがその頃でしたから。
今日で最後、という日
読経が終わった時、ご本尊の周りに沢山の花と若いお釈迦様のような顔がぱあっと出てきて、いい香りがふわっと満ちたことにびっくりしたことを強烈に覚えています。
実家は神道なのですが、こちらの世界で仏教を信仰していなくても
仏様が祖母を上げてくれたのだと思います。
そんな美しいものを見せてもらいながら
私は「やっと終わったーー!」と浮かれ、ふざけたい気持ちが湧き上がり、得意満面に九字を切る真似事をおばちゃんにしてみせました。
「軽々しい気持ちでそんな事をするもんじゃない!絶対にダメ!!」
と、それはもう、しこたま叱られた最終回でした・・・
この後も、私が大人になるまで色々とおばちゃんに叱られ続けたのですが
本当に本当に良くしてくださった尼僧さんで、
この人生で出会えたことをとても有難いと思う方の一人です。
あ、今もお元気なんですけど (*´▽`*)
次に帰省したら、お寺に遊びに行こうかな!
しかし、あの時まであのお寺に行ったことは一度もなかったのに
母はなぜ突然連れて行ったのか?
自分の記憶にはありませんが、何か変だと思うことがあったのでしょうね。
聞いておけばよかったなぁと思いました。