自分の体に帰ってから、彼をとても気の毒だと思いました。

そして、この事から幽霊についていくつかの気づきを得ました。

 

まず、このように「悪意」はなく、

本人がどうしていいかわからないでいる霊が相当数いるのだな、ということ。

この場合は、苦しみから救ってほしいだけで、人に害をなそうとはしていません。

ただ、気づいてほしくて、運よく?憑いていけた場合は人に色々なサインをだします。

(それが人には恐ろしかったり、不運なことが起きたり、体調不良の原因になったりするので結果としては害となることが多いのですが)

こういう霊に憑かれた時は、信頼できるお寺や神社にいって、ご祈祷して上げてもらえば

とてもとても喜んで感謝して上にあがっていかれます。

※ 「念」をもって残っている霊はまた違います。 自殺の場合も違います。

 

 

また、霊体になると、他の霊や念エネルギーの影響をダイレクトに受けるようだ、ということ。

なんというか、全ての人間にはある「守り」がない状態になっていたのです。

この落ち武者の霊は、奥にある祠の影響を強く受けているようです。

本人は気づいていませんし、本当に運が悪かったのだと思いますが

あの強烈な良くない念のこもった祠の影響下の場所で魂になってしまい、

おろおろしている隙をつかれて、

ガイドや守護霊が迎えに来てくれていることに気づく前に

その場所に縛り付けられている部分が少なからずありました。

彼を上にあげるには、あの祠の念を浄化するか、

縁切りするかということが必要になるかもしれません。

だから逆に言えば、もし自宅で亡くなるとしたら

自宅を気のいい場所にしておけば、邪魔をする霊が寄ってこず

お迎えがとてもスムーズにいくのではないかと思います。

 

 

 

そして、このような状態の霊とは、本当に会話が困難であること。

それまでも亡くなった方と話したことはありましたが、

上にあがっていらした方ばかりだったので、

いわゆる成仏していない霊との会話ができない、

というのはどこかで聞きかじった知識でしかなかったのです。

それがこの時にしっかりと理解できました。

 

幽霊になってしまうと、思考力がなくなっているというか、

「助けてくれ」という思いの中だけに閉じこめられていて、

そこから針の穴のように小さな視点からしか見られなくなっています。

その狭い視点を精一杯つかって

「自分と波長が合いそうな人がいるかどうか。気づいてくれる人がいるかどうか。

助けてくれそうかどうか」

だけを必死に探しているので、他の情報が入る余地がありませんし

あれ?と視点を変える余裕もありません。

 

ですから、よほど大きな力か、根気強く長い時間をかけて祈りという働きかけをするか、しかないのだな、と。

実際問題として、家族などでなければ毎日毎日長い年月供養を続けるのは難しいでしょう。

であれば、やはり大きな力、神仏に(生きている人が)お願いして

迎えにいってもらうのが一番いいのです。

 

 

私が落ち武者に憑いていた間は話しかけることはできませんでした。

ただ傍観者として中から見ていることしかできませんでした。

(多分、「自分も霊体の状態で中から話しかける」をしてはいけなかったのだと思います。

 完璧な守りが働いている状態で、落ち武者の霊のところに飛ばされた感があります

でも上を見るとちゃんと光があって、高位の霊たちが見ています。

心配そうな顔の人もいましたから、あれは身内の方なのでしょう。

本人がそれに気づけば、あっという間に迎えてくれるのです。

なのに、本人は分厚い「思いの檻」の中にいて気づけない。

それで百年以上も苦しんでいる。

これはなんとツライことなのだろうかと思いました。

 

 

そして、たとえば

死後の世界を全く信じていない人

魂などというものはなく、死んだら無になるだけだと信じている人

は、ひたすら混乱の中にいるのではないかと。

そしてその期間が長くなるにつれ、どんどん「思いの檻」が分厚くなり

思考能力が低下して視野が狭くなるようだ、と。

なぜか誰も気づいてくれない。 会話もできない。

そんな状態でいることを想像しただけで気が狂いそうです。

(父親がまさにこのタイプなので、逝く時から五十日祭までの間、よくよく言い聞かせて送らねば、とこの時に思いました)

何も悪いことをしていない人が、念を残したわけでもない人が

沢山このような形で残ってしまっているのではないかと思います。

 

 

そう思うと、浄霊をして上にあげてあげられる方は

ものすごく素晴らしい人助けをしていることになるのだ、尊い仕事なのだな

と初めて本心から思いました。(それまでは若干斜めから見ている部分がありました(汗))

と共に、憑かれてしまって浄霊を受けてあげた人も功徳を積むことになるのだな、と。

長い苦しみのループにはまっていた一人の人間の魂を救うのですから。

※除霊は違います。あくまで霊を上にあげる浄霊です。

※だからといって憑かれることは決して推奨しません。

 自分という一番大事なものを明け渡すことになり、魂の目的からそれた人生になってしまうからです。

 ただ、もし憑かれてしまったら浄霊してあげると功徳になります、ということです。

 

 

そして、私がなぜこの体験をする必要があったのか?が今でも分かりません。

ただ、これはなにかの必要性があって、体験させてもらったものだと

最近になって思うようになりました。

これも「なぜだろう?」という問いを持ち続けていると 必ず答えはくるので

気長に答えを待ちたいと思っています。