虎に翼の香淑の兄の映画 | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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毎朝、泣けそうになる台詞の連続

 

朝ドラの主人公の友人のモデルがユン・ドンジュびっくりマークとは。

素晴らしい脚本ラブ

 

 

 

 

 

尹 東柱(ユン・ドンジュ[1]윤동주Yun Dong-ju1917年12月30日[2] - 1945年2月16日)は、中華民国時代の満州出身の朝鮮人詩人である。朝鮮語で多数のを創作し、代表作「故郷の家――満州でうたう」(1936年)を通して心の故郷(南の空のそこ—朝鮮半島を意味)への愛を表現した。[3]福岡刑務所で獄死した。死後に『空と風と星と詩朝鮮語版)』などの作品が知られるようになった。創氏改名[4]後は「平沼東柱」となり[5][6][7]、以後は中国日本国籍であった[8][7]

 

 

 

 

 

 

映画観ていました。記事はヤフーに消されました(´;ω;`)

 

1945年2月16日、福岡刑務所で獄死した(満27歳没)。なお、獄中で注射を繰り返し打たれていたことから毒殺を疑う説もある[6]。絶命前に言葉を叫んでいるが、日本人看守には理解されなかった。尹東柱について書かれた伝記の中には、この言葉を朝鮮語であったろうと推測するものもある[7]。遺体は父が引き取り、龍井の東山教会墓地に葬られた。なお、ともに投獄された宋夢奎も3月10日に獄死した。

 

 

1968年には母校延世大学校において、尹東柱が暮らした寄宿舎の前に「尹東柱詩碑」が建立された。

尹東柱を偲ぶ会は1992年2月16日が尹東柱を顕彰するために同志社出身のコリアン(南北・国籍・ニューカマー等問わず)を中心に組織された。主として同志社大学を中心に活動。但し会員は広く門戸を開いている。よって 詩を愛する人、クリスチャン、歴史的な観点、等々様々な立場の人間が参加している。参加者は日本人・韓国人を問わず自由である。

また、京都の下宿(左京区田中高原町)は、その後京都造形芸術大学の敷地の一部となっている。2006年6月、京都造形芸術大学内の下宿跡地に「尹東柱留魂之碑」が建てられている。

WIKIより引用終わり

 

尹東柱(ユン・ドンジュ)
詩集「空と風と星と詩」から  『序詩』

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)

 

死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥ずることなきを
葉あいを縫いそよぐ風にも
わたしは 心痛めた
星を うたう心で
すべて 死にゆくものたちを愛しまねば
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば
今宵も 星が風にーーむせび泣く

 

山の辺を巡り田園のそば 人里離れた井戸を
独り尋ねては そっと覗いて見ます。

井戸の中は 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い風が吹いて 秋があります。

そして一人の男がいます。