ここにも立派な女性が阿部正子さん・秋の花言葉診断の結果は… | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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闘病中、18才、16才の母娘猫と暮らし美術や動物、演劇、旅、ガーデンが好きです

 

パンジーの花言葉つつましい幸せ

 

 

動物、観てるときです。

庭園巡り、観劇、映画、アンティーク、美術展、見ることが好き。

 

私は遊び呆けているのに、

 

又ラジオでこんなに

立派な阿部正子さんを知りました。

 

 

 

 

戦後に一段とハンセン病患者の人権侵害する法律作った日本、さもありなんです。

ハンセン病は感染力が弱いのに、断種まで。ネガティブ

やはりナチスと同じ、ナチスを見習えと言った麻生がのうのうと権力の座にいて命令ガーン

 

 

【明日へのことば】

本作りにかける
編集者 阿部正子

 

 

 

 

 


きき手:迎康子アンカー

 

 

 

阿部正子(編集者)           ・本作りにかける 

1951年千葉県生まれ。 大学卒業後出版社に入り、一貫して弱い立場の人を支える本やユニークな辞書を作って来ました。   定年後の今もライフワークであるハンセン病の人たちの歌を集めた本を一人でも多くの人に伝える取り組みに力を注いでいます。 

1974年に大学を卒業して出版社に入りまして、オリジナルに自分で企画を立ててやったのは40冊ぐらいになります。  そのほかに辞書も10冊ぐらい作りました。   12000人ぐらいの方に書いていただいたと思います。  6年前定年で出版社を辞めました。   世の中にないものを出すという事を楽しみでやってきたので、辞めてからも作ってきました。 

8人兄弟の大家族で、本棚がなかったです。  言葉に対する飢餓感があったのかなあと思います。  幼稚園から大学まで協調性がないと書かれていました。  ないものをやるという事では本つくりには役に立ったかもしれません。   一つのことにのめり込むと周りのことが見えなくなってしまいます。   少数派の方にたつタイプでした。  

読む前と読んだ後では意識が変えられないようでないと本ではないと書かれていて、自分ではできるかと悩んでしまいました。  隙間のところをやろうと思って、農薬毒素の辞典びっくりマークというようなものを作りました。  

 

 先天性四肢障害児父母の会を知って、子供たちの作品を本にまとめていきました。   

 

「ぼくの手、おちゃわんタイプや」ラブラブこの本が最初でした。   このタイトルは小学校2年生の作品から取りました。  

実際に会うとみんな生き生きしていて障害のところに目が行くという事はないですね。   先天性四肢障害児父母の会とはもう40年ぐらいのお付き合いになります。   この本を出した翌年(1985年)、白血球が1300まで落ちてしまって、動けなくなって難病で、子供たちの作文がもう一度思い出されて、自分の弱さを認めた時に、ラブラブこの体験が後に医療関係の本をやる時に役に立ったと思います。   

 

1冊終わるごとにダウンしたり、退職する前の6年間は薬のせいで6,7回骨折悲しいしてしまいましたが、余りめげませんでした。  全身性エリテマトーデス (systemic lupus erythematosus:SLE) と言います。(自分の免疫システムが誤って自分の正常な細胞や組織を攻撃してしまう自己免疫性疾患の1つで、全身のさまざまな臓器に炎症や組織障害が生じる病気) 

 

 難病で動けなくなってしまう。 ステロイドを飲むと痛みなどは消えてゆきますが。  

 

 先天性四肢障害児父母の会の人たちからは励まされました。    

 

ようこそダウン症のあかちゃん飛び出すハート

「いのちのことばシリーズ」  言葉に凝縮されていて強いんですね。             「薬害エイズ原告からの手紙」「ようこそダウン症の赤ちゃん」などの本を作る。    

 

 20年前に「誕生死」スター(流産・死産・新生児死で子をなくした親の会 著)という本にまとめる。 

 

 当時子供の死はタブーと言われていて、出させないと会社でも言われました。  

 

 当事者は苦しんでいるからこそ出すんですと言って、出したら物凄い反響で、ネット上でこの人たちが「誕生死」というホームページを作ったら、10万件の人たちが書き込みをしてきました。  

 

 一回は誕生したんだという事を認めて欲しいという気持ちが強くて受け入れてくれました。   家族の手記が載っている。  

「亡くなった赤ちゃんへの思いを口にするのは難しい。 あの子自身の思い出がほとんどないからだ。  そのことでひとはそれほど悲しいはずはないと思うのかもしれない。  私はあの子自身の思い出がないことが悲しくて仕方がない。悲しい

 

  誰かとあの子のことを話すことができない。  あの子のことをもっと知りたかった。  あの子をいとおしいと思う気持ちは溢れるほどあるのに、その溢れた思いをすくってくれる器がない。  他人から見たらお腹の中で亡くなった子は、余りにも存在感のない子だろう。   記憶にも残らないかもしれない。  でもあの子は間違いなく私のお腹のなかで生きていた。昇天  私が語りかけるとまるで返事をするかのように動いて来る。 ・・・・」 

 

読者カードが私の力になったと思います。  「訴歌」ハンセン病の人たちの歌を集めた歌集、俳句、短歌、川柳を集めたものです。  副題が「あなたはきと橋を渡って来てくれる」  ハンセン病の人たちがこんなに文芸活動が盛んだという事を初めて知りました。 能登恵美子さんは『ハンセン病文学全集』(2002年~2010年)の編集を担当。 能登さんが亡くなって5,6年経ってから私はこの本に出合いました。  短歌、俳句、川柳、子供の作品が3万作ぐらいあってその中から1割に絞って「訴歌」という本にさせてもらいました。 (3300作品)    3万作から落とすのが大変でした。

3万作を5年間ぐらい眺めていて、出会った歌が、

*「密かにも読み残されいし歌のほか患者らの惨劇伝うるもなく」  山本義則                       *「打ち明けて友にも語れぬ苦しさを歌に詠まなん生きる限りを」 長谷川虎雄      後世に残したいとはっきり歌っているので、私の出番かなと思いました。  

ライ予防法が制定されたのが1953年、戦前よりもさらに強い隔離政策を取った。     私が生きてきた背中で知らない世界があったという事にびっくりしました。    そして子供たちが多かった。  まとめた本には約1100人に歌があり、6歳から80代の人で未成年が300人ぐらいです。  

*「母さん猿に抱かれて覗く子猿さん黒いおめめで私を観ます」悲しい  この少女は子猿さんが凄くうらやましかったんだと思います。 お母さんに会いたいというのではなく別の形で表現しています。

*「膝の上に子猫抱きあげ懐かしく母への便りなお続けたり」 スター 

*「すみれ花故郷の父の好きな花花瓶にさして可愛がりけり」

*「山水に生き生かされてすみれこすと」  (山の療養所へ)

*「明け方の傷の疼きを耐えがたく時計の音をかぞうひととき」

*「腰掛に足を垂らして月見する」

*「この年は豊作だと言うけれど少年舎の裏の柿は成らね」

「夕暮れの峠を越せば我が家の灯りより小さき灯り」

以上は小、中学生ぐらいの男女の作品

*「うかららにありざりしかどいささかの里の土産を友らに配る」  うからら=親族に会えなかったけど土産を配っている。  会えなかったのは残念だけれども、故郷に帰れたという気持ちをみんなで味わっている。                         読んでいただいた方々からいろいろ反響をいただきました。

*印は内容、漢字、かななど若干違っている可能性があると思います。

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2022年1月4日新春特集2022年

ハンセン病伝える本出版 船橋出身の編集者・阿部さん

船橋市出身の編集者、阿部正子さん(70)が手掛けた「訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる」スター(皓星社)は、全国のハンセン病療養所で詠まれた俳句、短歌、川柳、3300作品をまとめた一冊だ。コロナ禍の昨春に刊行され、重版が決まるなど人々の共感を呼んでいる。

画像=刊行を記念して昨年開かれたイベント「B&Bトークショー」で、作家のドリアン助川氏と対談する阿部さん㊨

「私が受け取ったバトン 読者へ」
ハンセン病は「らい菌」が皮膚と神経を侵す感染症。患者らの強制隔離を定めた「らい予防法」は96年にようやく廃止された。悲しい「社会から隔離された悲しみや怒り、虐げられた者が持つ知性や優しさや感性が作品に巧みに秘められている。私が受け取ったバトンを読者へ」と阿部さん。副題にした作品(辻村みつ子、1992年)からは「いつかきっと、みなさんが私たちの心を理解してくれる、といった作者の強い思いを感じた」という。

出版社に勤務していた16年、阿部さんは図書館で「ハンセン病文学全集」(全10巻、三省堂)を手にした。同業の故・能登恵美子さん(享年49)が療養所を巡って集めた約3万作品が載っていた。「私が幸せに暮らしてきた時代に、別世界があった。歌が『私たちを外に出してくれ』と」。改めて読者に届けたいと作品を抜粋し、詩情や普段の生活で使う言葉など分類。4年をかけ完成させた。

〈襖越しに死んでくれよと長兄の言いいし声の耳を離れず 入江章子、1998年〉悲しい

〈しんしんと深まる夜なり線路上に一度寝かせし吾子ぞ抱き取る 千本直子、1939年〉

〈猫の子に飯を冷やしてあたえけり 中野三王子、1926年〉

「昭和、平成と自分が生きてきた時代と作品を照らして読んでほしい。商業ベースでもなく気取りもしない作品に打ちのめされて」

 

 

ハンセン病のことをわかってきたのは松下竜一全集から。

緒形拳主演の「豆腐屋の四季」は見逃しましたが本を読み、全集借りました。

近くの図書館にありありがたかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 松下先生は病身なのに九州電力豊前火力反対闘争などの行動派。」「草の根通信」もある。

 ハンセン氏病患者の「楡山のうたびと」びっくりマーク

 下筌ダム反対闘争を貫いた「蜂の巣城」室原知幸氏の物語「砦に拠る」

 「風成の女たち」「怒りていう、逃亡にはあらず」「狼煙を見よ」

 「疾風の人」「五分の虫 一寸の魂」など差別や公害、権力への抵抗、人間愛にあふれた感動作ばかり。