シマエナガ、あざらし、報道写真家、動物写真家小原玲氏写真展 | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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闘病中、18才、16才の母娘猫と暮らし美術や動物、演劇、旅、ガーデンが好きです

 

 

数々のスクープ写真を撮影した『フライデー』の凄腕カメラマン

話題沸騰のシマエナガですが、ブームの火付け役の一人となった写真家がいます。小原玲さん(1961~2021年、享年60泣くうさぎ)です。

小原さんは、写真週刊誌『フライデー』の専属カメラマンを振り出しに、国内外のニュースを追いかけてきたフリーの報道写真家でした。『フライデー』には1984年の創刊期から在籍。大きな身体で、被写体に突進して肉薄…。編集部で同僚だった不肖・宮嶋こと報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(61)は「特に護送される犯人や疑惑政治家の乗った車への正面からの突撃はすさまじく、びっくりマーク当時ついた仇名が『ボンネット乗りの小原』びっくりマーク」と、「おとなの週末Web」に寄稿した追悼文の中で、こう称えています。

入院中の田中角栄元首相を捉えた写真など数々のスクープをものにし、編集部を離れたあと、その興味は海外に向かいます。一躍、その名を世界に知らしめたのが、1989年の天安門事件びっくりマークでの撮影でした。

中国の民主化を求めて、北京の天安門広場に大勢の学生ら市民が集結。小原さんが撮った1枚には、手前で手をつなぐ学生の向こうに、排除のために出動した人民解放軍の装甲車が写っています。この決定的な写真は、アメリカのグラフ雑誌『ライフ』に掲載され、「ザ・ベスト・オブ・ライフ」にも選ばれました。報道の現場にいる者としては大変名誉なことです。

しかし、この後、小原さんは動物写真家へと転身します。その理由を、自身のブログで次のようにつづっています。

「その理由の1つに天安門事件で自分がジャーナリストとして伝えきれなかったことがあまりにも多かったことです。私は広場で死体を1つも見ていません。広場での怪我人の多くは跳弾です。銃口は高い位置にあったスピーカーや、地面に向けられていました。なによりこの写真は戦車を止めている写真ではありません。びっくりマーク学生リーダーたちが、学生が戦車に向かうのを防いでいる写真なのです。しかし、LIFEでもその事は書かれませんでした」びっくりマークびっくりマーク

つまり、雑誌では、装甲車が学生らを襲っている構図として掲載され、撮影者が現場で目の当たりにした事実は反映されなかったというのです。

「かわいさ」に魅了された 「アザラシの赤ちゃんみたいな小鳥」

撮影しても、掲載時には写真に込めた意図が伝わらないというジレンマ。そんな煩悶する日々を過ごしていたある日、同じ報道カメラマンからふと見せられたアザラシの赤ちゃんの写真に惹かれます。1990年、カナダまで出かけて、実際に撮影してみると、そのあまりにもかわいい姿にすっかり魅了されてしまいます。刊行した写真集は大ヒット。“動物写真家”小原玲の誕生でした。

小原さんはある日、電車の中で偶然、自身が撮って雑誌に載ったアザラシの赤ちゃんの写真を切り取って見ている女性に出くわします。報道写真ではうまく受け止めてもらえなかった撮影者の意図。しかし、「かわいい」はストレートに伝わるのだと、自信を深めたそうです。

 

「アザラシの赤ちゃん」ブームを生み出した後に、数々の動物を経て、特に魅せられた被写体が「シマエナガ」でした。2016年秋には、写真集『シマエナガちゃん』(講談社ビーシー)を発表。シマエナガに関する本格的な写真集はこれが初めてで、現在まで17刷というロングセラーとなりました。

シマエナガは白い顔が特徴的な体長14cmほどの小鳥。北海道に暮らす「エナガ」の亜種です。小原さんの興味がシマエナガに向かうきっかけは何だったのでしょう。『シマエナガちゃん』のあとがきで、自ら理由をつづっています。

「タンチョウの撮影のために訪れていた北海道で、写真を見せてもらったのが出会いであり、第一印象は『アザラシの赤ちゃんみたいじゃないか』でした。今年は暖冬でカナダの流氷が少なく、27年間続けているアザラシの赤ちゃんの取材ができないことが確定していました。そこで『それなら、このアザラシの赤ちゃんみたいな小鳥を撮ろう』と思ったのが、シマエナガの撮影を始めたきっかけです」

妻で作家の堀田あけみさんは今回、次のように説明してくれました。

「シマエナガの取材を始めた大きな理由の一つは、私からの意見だったのです。新しく撮る可愛い被写体を探していた小原にとって、アザラシみたいにふわっとして可愛いシマエナガは、もってこいだったと思います。とにかくかわいい。撮り始めたら、すぐに夢中になりました。写真だとサイズ感が分かりにくいですが、小さいのも魅力の一つだったと思います。アザラシは思ったより大きいので、その逆のギャップかと」。娘さんをシマエナガの撮影に連れていくこともあったそうです。

シマエナガの最大の魅力はどこにあるのでしょう。小原さんのあとがきに、その答えがありました。

「早朝から日没まで張り込んだりと、大変なことが多かったのですが、けっして辛くはありませんでした。なぜなら、あの愛くるしい姿に出会えると、それまでの苦労や疲れが一気に吹き飛んでしまうからです。それだけの魅力がシマエナガにはあると感じています」
「思わず『シマエナガちゃん』と呼んでしまう。それほど、表情も仕草もかわいらしい小鳥です」

新型コロナウイルスの感染拡大や戦争など、顔が曇るような暗い世相にあって、こわばりがちな心をやわらげてくれる―――。小原さんが見つめてきた“シマエナガちゃん”の愛くるしい姿は、これからも多くの人の胸を温め、ストレスフルな現代社会の中で一層愛される存在となっていくでしょう。

文/堀晃和

■シマエナガの関連情報

「まるもふっ!~北の天使の写真展~」
堀田あけみさんが教授を務める名古屋市の椙山女学園大学で、小原玲さんが撮ったシマエナガとアザラシの写真を展示します。
【会期】2022年8月1日~10日(土・日休み)
【住所】名古屋市千種区星が丘元町17‐3
【会場】椙山女学園大学学園センター1階
【開場時間】10時~16時
【交通】地下鉄東山線星ヶ丘駅6番出口から徒歩5分

 

ローカル番組に出られた小原さんはあの映画の原作者堀田あけみさんの配偶者でした。

特に報道写真の事、天安門事件の真実の衝撃。びっくりマーク

 

早く亡くなられてショックです。

 

981年、中村高校在学中に『1980アイコ十六歳』が文藝賞を受賞[2]。最年少の受賞として話題となるとともに、映画化・コミック化もされた。

デビューが早かったこともあり、堀田の成長とともに作風が変遷したあとが読みとれる。初期の作品には、高校や大学を舞台としたものが多く見られ、登場人物一人一人の性格・心理が細かく描き分けられている。その後、恋愛をテーマにした作品が増えるが、「思い詰めるくらいに深く恋する女性」「どこか頼りない男性」が登場するものが多い。セリフの中によく名古屋弁を使っていたが、最近の作品では少なくなった。[独自研究?]

夫は写真家小原玲。長男マナト・次男カイト・長女コトコの、三児の母。うち、次男カイトは自閉症スペクトラム障害であり、『発達障害だって大丈夫』で紹介されている[2]。この本の内容を中心に、『東海テレビ 社会人フェローの会』で講師として講演活動をしている。

2002年以降、オリジナルの小説は発表しておらず、研究者としての本業である発達心理学や、育児についてのエッセイ、もしくは小説創作指導をメインとするようになった。

2009年、椙山女学園大学の准教授となる。研究テーマは発達障害を持つ児童の言語発達。2015年、同大学の教授となる。