人が死ぬと言うこと 28年前、母の死 | moris11のブログ

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尋常性乾癬と約20年共生している
2014年12月より糖質制限開始
HbA1C改善、ダイエット
2015年3月一杯で給与生活リタイア
フリーター生活に入り、これが性に合っていたことに気付く
月平均で万歩/日確保
悩んだら歩く、とにかく歩く
2015.12.10改訂

仙台市に住む両親、息子3人は滋賀、埼玉、愛知に住んでいた

長男の私が44歳の時、父76歳、母69歳

その母が、平成6年(1994年)2月13日深夜倒れた

このブログにも少し書いたことがある

 

父は物忘れが激しくなっており、母が倒れ正気を失ってしまった

 

断捨離していたら当時のメモが出てきたので、私にとって激動の3週間をブログに残すことにした

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【2月13日】

24:30、うとうとしかけたところ、仙台井上さん(実家の隣人)より母心臓発作で公済病院に救急車で運ばれ、弟(次男)が付き添っているが絶望的とのこと、と連絡が入る
隣人のS夫人に電話連絡、父をみてもらう
弟(三男)宅、順子叔母(仙台在住)に電話連絡

 

【2月14日】02:00、
弟(三男)より電話入る(仕事から帰ってきた)
次男宅(埼玉)にも電話、近所に住む千太郎伯父に電話
S夫人、順子、千太郎の3人で病院へ行くとのこと
この間、風呂に入ったり喪服の準備をしたりで一睡もせず
04:00、長女13歳を起こす
05:10、親子3人で駅へ徒歩で向かう 道路が凍っていてすべる
06:20、新幹線京都発、混雑のため名古屋まで座れず、前日の大雪のため30分以上遅れ
09:00、会社に連絡、09:30頃東京着
10:00頃新幹線東京発
12:30頃仙台着
13:00頃タクシーにて東北公済病院着
集中治療室に白衣を着て手を洗って入り、昏睡状態の母に面会
顔が腫れて血の気なし、酸素吸入と点滴で息をつないでいる状態
弟(次男)は着の身着のままでジャージの上にジャンパー、長靴姿
心臓がいったん止まり心臓マッサージで蘇生したとのこと
15:00、弟を一旦家に帰し、着替えと食事をさせる
順子叔母と相馬からやってきた叔母3人(父の種違いの妹)病院へ見舞い
18:00、弟が戻ったため親子3人実家へ向かい着替えと食事
父は上の空の状態、S夫人いる
21:00、自分のみ病院へ戻り、23時頃弟を家に帰す

 

【2月15日】01:00、母の容態に変化ないため貸されたベッドで眠る
06:00、起きて様子を見ると顔に赤みが差し唇にも血の気が出ている
瞳孔も閉じてきたとのこと
09:00、弟と交代し家に帰り食事と睡眠
午後、周りの人は賛成しなかったが病院へ父を連れて行き面会させる
二階の集中治療室から五階の一般病室へ移されていた
「さっぱり返事をしない」と繰り返す父
弟(三男)到着
症状落ち着いているため父を連れて夕方家に帰る
弟二人残る
S夫人家に来る
21時頃、弟二人も食事をして酒も飲んで家に帰る

 

【2月16日】

01:30、病院から電話あり、血圧が急激に下がったとのこと
弟(次男)が風呂に入っていたため、弟(三男)と二人ですぐに病院へ
冠状動脈の2/3が残っていたが、さらに1/3が詰まった模様
この段階で生存の可能性は無くなった(毛細血管でカバーするには二週間必要だが体力が持つか、意識がないため抵抗力小)
02:00、弟(次男)も到着
その後血圧も回復し容態も安定したので仮眠をとる
廊下のソファで寝ている時いびきをかいて起こされる
弟(次男)(3時過ぎ)、弟(三男)(5時頃)家に帰る
福井姉弟、毎日来てくれた
この日はそのまま変化なし
お金の調査や葬儀屋の連絡先調査等始める
3人とも家に帰る


【2月17日】

この日も交代で付き添うが、徐々に血圧低下、瞳孔も再び開いてきたとのこと
後がないため、朝再び病院へ父を連れて行く
返事をしないためすぐに帰ると言うので帰る
帰りのタクシーの中で父は正気に返る
すぐ病院に戻るというがとにかく一旦帰る
なじみの蕎麦屋に父を連れて行き二人でそばを食べるが父は珍しく食欲無し、店員に慰められる
結局再び父と病院へ行く 3時間ほど居る
夕方、弟(三男)に父を連れて帰らせる
弟(次男)と二人で残る
夕方から胸騒ぎ、食欲全くないが国分町で店を探す
若い男から何度か声がかかる 仙台も変わった
結局病院近くの泰華楼で食事、感じ良し
深夜再び血圧低下するも安定
栄子ちゃん、自宅で生霊の訪問を受ける
「鍋が鳴る、どぉーんと音がする」


【2月18日】

04:00、廊下で寝ていたが目覚めて病室に入ると心電図の一方は直線になっている 待機中の弟(三男)に連絡、順子叔母、千太郎伯父、S夫人等にも連絡
9時頃脱糞
N夫人、栄子ちゃん(母を慕う知人)等到着
福井姉弟もいたか
9時半頃、心電図が大幅に乱れ始める
嗚咽を必死でこらえる
10時、心電図の片方も直線に
10:01、医師が臨終宣言
10:02、家で待機中の妻に連絡、言葉にならない
10;10、会社に連絡
10:30、死化粧後の顔を見る
観音様のように穏やかできれいな顔であった
11:10、北辰の車で家へ向かう
11:30、家到着、近所の人々が沢山いた
PM、弟(次男)の家族到着、弟(三男)の家族も到着、平安祭典に既に連絡済みであった
S夫人より寺の紹介あり、のることにする
15時頃、平安祭典と打ち合わせ、19日通夜、20日葬儀の線で寺と交渉することに
戒名は中(大姉)、坊さんは2-3名でやることで合意
16:30、S夫人と弟(三男)の車で寺へ
「すべてまかせなさい、150万でいいから」と住職
17:30、住職とともに家へ、枕経
その夜は千太郎伯父が母を偲んで大いに飲む
娘と姪二人の三人はこの日から三日間S夫人宅に泊らせてもらう

 

【2月19日】

10時、平安祭典準備に来る
親類縁者に連絡
18時通夜開始、親類・近所の人々で満員
読経後、あっけない幕切れで呆気にとられる
受付を準備しなかったため後で苦労する
21時、この夜、弟(次男)の友人であるM夫妻やO氏が弔問
近所に越してきたという小学校時代の同級生OG氏訪れる
弟(次男)は飲みすぎて寝てしまう

 

【2月20日】

05:00、会葬御礼の挨拶を考えてから眠る
一典さんと弟(三男)が寝ずに線香当番
葬儀当日、快晴
弟(次男)に飲酒禁止指示、反発するも納得
棺桶に入れる花の件でN夫人興奮、八つ当たり
9時、親類縁者続々来場(福島県相馬市から)
10時、義父到着(神戸から)
11:15、副住職到着、経を読む
11:30、平安祭典来場、死装束を着せる
棺桶を閉じる前の別れで、父が母の顔を夢中で撫でる
12:15、自分が位牌、弟(次男)が写真を持ち霊柩車に乗る
ギューギュー詰めになる
従姉妹、吐き気を催し途中で降りる
13時、泉火葬場到着、読経後火葬開始
着火の瞬間等は場を去ったため平静
約2時間、控室で食事しながら待機
14:45、受付の福井姉妹等を寺へ向かわせる
15時、骨拾い
15:10、火葬場出発
15:30。寺到着、すぐに葬儀開始、司会不在であったが坊さんの数で押し切る


喪主焼香と挨拶
M家の葬儀に際し一言ご挨拶申し上げます
本日はお忙しい中遠路はるばるご会葬いただき誠にありがとうございました
母Cは、2月13日深夜心臓発作のため救急車で東北公済病院に運ばれました
意識不明のまま、必死の介護も虚しく2月18日10時1分安らかに永眠いたしました
母は苦労の多い人生ではありましたが、深い愛情をもって人に接するとともに強い意志をもって生きてまいりました そして多くのひとに愛されるとともに6人の孫にも恵まれました
心臓病やリューマチとの闘いの中での死ではありましたが、臨終時の顔はやすらぎに満ちたものであったことは残された遺族にとって大きな救いでありました
生前の、皆様方のご厚情に対し厚く御礼申し上げます
本来ならば一々お伺いして御礼申し上げるべきところではございますが、まことに勝手ながらこの場をお借りしてご挨拶に代えさせていただきます
本日は誠にありがとうございました


16:30、葬儀終了で会葬御礼のため外に並ぶ、その後法要開始
17:45、新地グループ帰る支度を始め慌てる
18時、マイクロバスで家に帰る
その夜はほっとして寛ぐ

 

【2月21日】

一転寒く天気も悪い一日、娘が一人で大津に帰る
昼、二階で兄弟3人父をどうするか相談、父、様子を見に来る
一時滋賀へ引き取り施設に入れることで一旦合意
夜、風がとても強い 酒を飲み夫婦で非難応酬
弟夫婦が呆れて見ている


【2月22日】

朝、青葉区役所福祉課へ3人で、特別養護老人ホームの話を聞き申込書をもらう
伝染性の病気中心の診断書が必要
しかし簡単には入れない 市内の施設なら1-2年待ち
痴呆老人のリハビリ施設を調査することにする→「仙台ロイヤルケアセンター」が浮上
弟(次男)の娘と息子、埼玉へ帰る


【2月23日】

父を石川医院へ連れて行き健康診断を受けさせる
何故受けるのか何回も聞かれる
レントゲンで心臓に動脈瘤が観察されるとのことで仙台星陵クリニックでCT
この日は雪が横殴りに降る
弟(次男)は中田の施設訪問
この日、簡易保険がおりる 弟(三男)が郵便局へ
弟(三男)はこの後夕方家族を送りに空港へ
17時半検査終了、待ち時間が長かったためイライラし何度も“帰る”、とごねるので弟(次男)を呼び父を先に帰す
19時、CTの写真と所見を受け取りケーキと最中を買って帰る

 

【2月24日】

10時半、初七日で寺へ
父、兄弟夫婦、弟(次男)の末娘、順子叔母、千太郎伯父、S夫人
150万円と法事お膳代35万円支払い

 

【2月25日】

弟の嫁二人帰る
 

【2月26日】

妻と仙台ロイヤルケアセンターへ
弟(三男)の会社の先輩3人が家に来る

 

【2月27日】

妻と弟(次男)、それぞれ帰る 弟(三男)と父と3人になる
 

【2月28日】

8時半、センターの勧めで仙台市立病院老人痴呆疾患センターへ
予約なしのため断られかけたが午後に見てもらえることになった
急遽石川医院へ、健康診断追加検査を受ける
一旦家に帰り弟(三男)と3人でドライブ、青葉城天守台で食事、八木山でコーヒー
13時半、市立病院へ、父、ごねるが何とか説得
15時、地下鉄、タクシーで帰宅
夕方は入所の説得、家でゆっくり

 

【3月1日】

10時、石川医院でもらった薬を飲ませると効きすぎて眠る
11時、石垣歯科へ弟同伴で行かせるがすぐ戻る
12時、N夫人、順子叔母来る
弟は区役所へ、老人ホームの申し込み
センターへの入所説得するも逆効果
夜、説得工作に対し、騙されているみたいだの発言に筆者激怒、父謝るも無視
21時、井上夫人訪問、愚痴をこぼす

 

【3月2日】

朝、父に昨夜の事を質問、少し覚えていた
9時45分、強引に慌ただしく車に乗せる
雑貨店で15号バケツを買いそのままセンターに向かう
10:15到着、なかなか担当者が来ないためいらつく
約2時間いて帰る
13時、家の近所町で弟とラーメンを食べる、何故か旨かった
15時、一典さん来る
16時、弟、一典さんとともに帰る 遂に一人になる

 

【3月3日】

8時半、市立病院へ結果を聞きに行く
脳委縮が観察されるが激しくはない、その他は歳相応
10時、区役所で母の国民年金関係手続き
11時、北社会保険事務所で母の厚生年金関係手続き
12時、駅エスパル地下で昼食(釜めし)
12:45、バスでセンターへ
13時半、到着して中に入ると、帽子を被り家に帰ろうとしてなだめられている所
昔の職場とセンターをごっちゃに考えている
15時、カラオケタイムに3曲歌わせられる
16時、歯医者の話から家に帰る話となる
根気よく説得し、16:45納得させる
16:57、バスに乗る

 

【3月4日】

9時半、寺での位牌入魂に向かう
10:25到着、30分ほどお経をあげてもらう(住職・副住職)謝礼3万円
11時、歩いて大学構内を抜け一番町を歩く
位牌を持っているため寄り道できず
12時半、タクシーで家到着、白菜スープやチャーハンを作り食事
15時、T夫人が線香あげにくる、四方山話で3時間弱
18時、帰り支度をする
18時半、井上さんに野菜を持っていく
19時、一典さんに電話
19時半、井上夫妻来る、茹で海老とウイスキー持参
3時間程度、よく飲む
翌日、センターまで送ってもらえることになった
具合悪くなって吐いた
23時半、寝る

 

【3月5日】

8時、妻より米がないとの電話あり
(この年は日本中で米不足問題発生していた)

9時、井上さん(夫)と出発
9:20、到着、診断書を職員に渡す
一昨日よりかなり落ち着いて見える
10時、一典さん到着、お茶の時間になり父は牛乳をもらって飲んでいたが、3人にもお茶を出すよう交渉しており一緒に飲んだ
11時半、話の雲行きが怪しくなってきたので仕事があるからと言ってほぼ一斉に帰る
父は玄関まで送ってくれた
11:45、米屋からブレンド米を大津と神戸に送る
12:15、家到着、帰り支度と食事
N夫人が来てゴミ出し等手伝ってもらう
玄関に釘を打つ
第一生命に受取人の名義変更に関する問い合わせ
その時に法定相続人(兄弟3人)が手続きすることにした
13時半、戸締りをしT夫人に挨拶後、位牌を二つ持っていよいよ出発
タクシーに乗り、運転手と母の話をしているうち、気が緩んだためか涙が止まらなくなる
13:45、駅に空港バスが止まっていたためすぐ乗る
14:45、空港到着
15:10、搭乗手続き、順子叔母に電話するが不在
16:40、離陸、長かった3週間が終わった

 

思えば、1月31日に新地のマコちゃん(従兄)が死に、葬儀参列のため2月1日夜仙台に帰り、3日早朝に寝たままの母に別れの挨拶をしたのが最後であった
1月26日には弟(三男)が帰っており、弟(次男)は母が倒れた時傍にいた
息子3人を直前に次々と呼びよせていたことになる
偶然とは思えない 冥福を祈るのみである


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登場人物(年齢は1994年2月現在)
母69歳、父76歳
筆者(長男)44歳、大津市在住、
妻36歳、娘13歳
弟(次男)42歳、埼玉県本庄市在住、妻、娘13歳、息子、娘(次女)
弟(三男)40歳、名古屋在住、妻、娘12歳、娘(次女)
《仙台の古くからの隣人で友人》S夫人(世話好き)、N夫人、栄子ちゃん
《実家の隣人》井上さん夫妻、T夫人
《仙台在住の親類》順子叔母(父の種違いの妹)、一典さん(母の姉の息子)、福井姉・弟(母の妹の子供)、千太郎伯父(母の兄)、
《福島県相馬市在住の親類》父の種違いの妹4人、従妹、

マコちゃん(父の妹の息子、筆者の一歳上、1月に死亡)