1994年、平成6年2月13日開催の京都記念はビワハヤヒデが圧勝し、翌朝、未明、仙台から母が救急車で運ばれたとの連絡を受けた
14日午後、やっと仙台について、それから4日間兄弟3人交替で病院に詰めたが、母は一回も目覚めることなく、18日昼前に亡くなった
あれから20年、自分ももう64歳になってしまった
母は69歳だった
あのときも大雪で新幹線が大幅に遅れたりとにかく体力的にも大変だった
今日の一番人気、ジェンティルドンナは失速してしまったが思い入れのない馬なので特に感慨はない えっ、デスペラード
しかし、京都記念と母の死が切り離されることは一生ないだろう
自分がボケるまでは!
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