盆も過ぎた八月末、出先で急に時間が空いたので、靖國神社に出向いた


生まれ故郷から遠く離れて久しく、親族の墓参りにもながく帰れていないので、無償に寂しさが募る

やはりお盆前後だからかなぁ…


いつかの盆休み、田中の畦道をてくてく歩いて辿り着く古い納骨堂…

ここは神社ですが

すみません、ようやっと参りました




真夏の遅い午後

人影もまばら

拝殿を後にして時計回りで裏手へ回る


本殿の南側、この辺りにそれぞれ元宮、鎮霊社、と呼ばれる社があり、現在は柵で閉じられ近寄れない

でも遠目から少し眺めることができて、ここはどういった処なのかな?と前にも気になったので、後から調べた

靖國神社とひとことで言っても、奥深く知るほどに、成り立ちもその後の経緯もそんなに単純では無かった


わたし個人は、特に家柄もなく神社や寺院との深い関わりも無く、菩提寺も知らないし産土神社も知らない

わたしの生まれはそういうものだ

近い身内に出兵して亡くなった人の話も聞かない(これに関しては最近、母に訊いてみて幾らか判った)


しかし靖國の前身は東京招魂社というものであり…戊辰戦争よりこちら、国のための戦いに殉じた方々を祀るためにありますが、それは官軍側のみ

つまり錦の御旗を掲げた側の御霊のみ


戊辰戦争や西南戦争での朝敵側は合祀されない

会津藩士であるとか、西郷さんとか…

まぁ勝てば官軍、負ければなんとやら


いっぽうで大東亜戦争に散った英霊たちは此処に集い何思う

靖國神社の成り立ちと在り方は、戦さの歴史と天皇制の存在から切り離しては語れない


それはまた、ただすなおにミタマを偲びおくりたいだけの遺族や民びとの想いとは別のもの

慰霊と顕彰、一緒にするからこんぐらがる

どうして神社なのかな

たぶん祀るには余りに時代が早過ぎる

神社仏閣に縁もゆかりもない身の程のたわごとゆえに、悪しからず


そして私たちは終わらない夏を生きる

いくたびも


ここに在るもの、ここに無いものをよくよく眺めて追いかける先に、迫れるなにかがあるのだろうか

つまり此処もレイヤーなのかしら

幾つもの時代の想念が重なり合う

終わらないのは先の大戦ばかりでは無いのだろう


靖國神社の内宮外宮、更には外側にも色々な碑やら像やら記念館やらが在るので、また寄る機会があればいいなと思う




裏手の森をぐるっと巡って終わり掛けたとき、敷地内の駐車場がガラガラだったので、その奥に遺る招魂祭庭の跡地がよく見通せた


冬には立ち寄らなかったけど、奥の鳥居まで吸い込まれるように入ってしまった

ここはまた空気感が違う気がした

誰も人影は無かった


更にぶらぶら歩くもなんだか気が散ってならず、いけなかったな

連れも居たせいかな

気持ちを円めようと口ずさむ唄を探した

あんまり上手くいかなかった





帰宅してから森山直太朗さんの「夏の終わり」という曲を思い出して、

ああ、これを歌えばよかったなぁ、と心残りに思ったけど、サビしか憶えておらんとは…とほほ


晩夏に滲み入る日本の唄だな

この楽曲は好きだ

このテイクもいい




なにか、いろいろ…めぐりが悪くて澱んだ淵みたいな

血のめぐりとか、気のめぐりとか、巡るものが巡らないからいかん

巡るめぐる、めぐる因果はいとぐるま

巡らせる意識で


自分にできることは少ないが、腐らず弛まず…

八月が終わる




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追記:記事を書いた翌日、御本人様のチャンネルにて新しいテイクがUPされたようで、こちらも貼ります


https://youtu.be/SH_3qm2fPkY?si=jtrmg4ViNQzsKzOF