湯ケ島国有林(小班140わ)

 江戸末期の下田街道。長さ130m、幅約1.8m。及びこの道に沿う掘割がある。

天城越えの経路は室町時代から現在にいたるまで、幾たびか変遷を繰り返しているが、幕末下田に黒船が入港したころ、歴史に名をとどめる多くの人物が往来した下田街道(天城路)の一部分である。

 国道414号線から大川端へ向かう道の右側から本谷川沿いに下流部へ、遊歩道を200mばかり歩いた所に、天城旧道の説明板が設けられている。その辺りのゆるい坂道の部分が、少なくとも150年前の道の面影をとどめている。

 

 この道を寛政5年(1793)には老中松平定信一行が、文化8年(1811)には滝沢馬琴が、安政元年(1854)には、下田で捕らわれた吉田松陰、同年林大学頭輝(あきら)等が通った。安政4年(1857)にはこの道を米国の初代駐日総領事となったタウゼント・ハリス一行が江戸へ上った。

 明治38年(1905)天城隧道が開通し、馬車による天城越えが可能になり、やがて馬車は自動車に変わり、昭和45年(1970)には今の天城トンネルが開通、江戸時代の天城路は次第に埋もれ、地上に姿をとどめている部分はごくわずかになってしまった。(伊豆市教育委員会発行・伊豆市の文化財より)

 

並行して流れる本谷川(狩野川の上流)

 

同じ路が踊り子歩道となっている