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伝堀越御所跡

20回に及ぶ発掘調査で発見された園池(庭園内の池)や中国から輸入された焼き物などから、鎌倉時代の北条氏の屋敷跡に、室町時代の堀越御所が作られたことがわかりました。

このことから、日本の中世(鎌倉・室町時代)の歴史を物語る重要な遺跡ということで、国の史跡に指定されました。

守山を中心とした中世遺跡群

伝堀越御所跡周辺には、史跡願成就院跡をはじめとして中世の寺院群や、御所之内遺跡

(一部は北条氏邸跡として国指定)などの遺跡群が連なっています。(後略)

現地看板より

 

足利茶々丸の墓

願成就院本堂の裏手にあります。

 

足利茶々丸は室町時代後期の武将、初代堀越公方の足利政知の子。父の死後に一族間で内紛を起こして家督を相続するが、伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められて各地を転戦の果てに自殺(後略)ウイキペデイアより

 

また裏山の守山城で戦った後願成就院で自害したとか、甲斐に逃げ、宗瑞に捕まって自害したとか、あるいは下田の深根城で自害とかの説もあるようです。

 

深根城 

下田港に注ぐ稲生沢川を遡ること6km、(下田松崎線)箕作交差点左折、橋を渡り、Uターン方向細い道が有り、約1km右岸の台地上にある。現在民家が2戸有りとの屋敷と呼ばれ、数段の石垣の上に土豪館の風格を備えている。 

深根城は堀越公方の重心関戸播磨守の居城と言われている。延徳3年、足利茶々丸を滅ぼして伊豆全土を席巻しつつあった伊勢宗瑞(北条早雲)に対し、ただひとり最後まで抵抗したのが関戸氏であった、しかし多勢に無勢、落城し、敵方は城中の老幼婦女子に至るまで、ことごとく首をはねて晒したという。

小生も対岸を何回も通ったことがあるが、城址には寄ったことがないのです。

 

おしまい