「縄文ヲシテ勉強会」・「縄文カレンダーワークショップ」・「ホツマツタヱ勉強会」

 

桜満開の4月!

新年度スタートです。

ちょうど4月2日にキサラキ満月を迎えるので、

縄文カレンダーも春分から立夏へ向かう

」のナメ(宇宙の実体化の為し来るさま)に入ります。

日増しに昼が長くなり、活動的になりますね晴れ

 

4月の勉強会のお知らせです。
4月7日現在の開催予定です。

ゆにわさんの勉強会:12日から19日に変更になりました。
随時更新いたします。
初めての方も、どうぞお気軽にご参加ください(*^^)v

 

zoom参加、アーカイブ動画のお申し込みは↓こちらから
【縄文ヲシテ勉強会】シェアガイド冨山喜子 

 

 

 

 

◆【Live配信】youtubeヲシテム
◎毎月1日・15日22時~23時
 リニューアル準備中、
 決まり次第お知らせいたします。
 縄文カレンダー・トホカミヱヒタメ暦を通して、
 縄文の宇宙観、季節感、マツリの由来や
 ヲシテ文字を読み解くヒントなどゆるく楽しくシェアしています。
 アワウタコーナーもお楽しみに♪

 

 

◆4月9日(木) 【知多郡内海】びわカフェ
◎14時~16時
◎場所:知多郡南知多町内海南浜46-10
◎内海・縄文勉強会

◎内容:ホツマツタヱ2アヤ「アメナナヨ トコミキのアヤ」
◎参加費:3500/(ドリンク付)
 ※縄文カレンダー2026版別途1500/・テキスト①(1-3アヤ)別途1500/
◎お問い合わせ・お申し込み:高木隆司 携帯090-3831-8366

 

◆4月13日(月)【縄文ヲシテ勉強会】オンライン

◎ 19時~20時半

◎場所:大阪市北区 さざなみ

    参加ご希望の方は場所をお知らせしますのでご一報ください。
        yoshico1018@yahoo.co.jp

◎内容ホツマツタヱの10アヤ「カシマタチ ツリタイのアヤ」
 ※当日ZOOM参加有り。

  アーカイブ動画もご活用ください。
オンラインショップ

 
◆4月14日(火) 【大紀町】そばかふぇ なごみ
◎13時~15時 ※ランチタイム;12時~
◎場所:蕎麦カフェなごみ庵 度会郡大紀町滝原1629-3
◎ほつまことほぎ勉強会
◎参加費:3000/(ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
 ※縄文カレンダー2026版別途1500/・テキスト⑧(23-24アヤ)別途1000/
◎定員;10名 要予約! 携帯090-2140-9707
◎内容:ホツマツタヱ23アヤ「ミハサダメ ツルギナのアヤ」
 
◆4月15日(日) 【Live配信】youtubeヲシテム
◎毎月1日・15日22時~23時
 縄文カレンダー・トホカミヱヒタメ暦を通して、
 縄文の宇宙観、季節感、マツリの由来や
 ヲシテ文字を読み解くヒントなどゆるく楽しくシェアしています。
 アワウタコーナーもお楽しみに♪

 

◆4月17日(金) 【志摩】ホツマなんばり勉強会
◎内容:ホツマツタヱ8アヤ「タマカエシ ハタレうつアヤ」

 

◆4月19日(日・旧暦ひなまつり) 【多気】菜食ゆにわ
◎11時~14時
◎場所:菜食ゆにわ 多気郡多気町片野1213 ☎0598-49-2812
◎縄文・ほつまことほぎ勉強会
◎参加費:3000/(菜食ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
 ※縄文カレンダー2026版別途1500/・テキスト①(1-3アヤ)別途1000/
 ※要予約!
◎内容:ホツマツタヱ2アヤ「アメナナヨ トコミキのアヤ」

 
◆4月21日(火)【東京】久我山LaniHonua

『ヲシテ勉強&お話会』 13時半〜16時半
◎場所 : LaniHonua 杉並区久我山 
◎参加費:2000/ 縄文カレンダー2026年度版別途1000/ テキスト⑤(15-16アヤ)別途1000/
◎内容:ホツマツタヱ16アヤ「ハラミツツシムオヒのアヤ」後半
※参加ご希望の方はご一報ください。場所の詳細をお知らせします。

 yoshico1018@yahoo.co.jp

 

 

◆4月26日(日) 【伊勢】
◎内容:ホツマツタヱ7アヤ「ノコシフミ サガオタツアヤ」
 
 

◆5月未定(水) 【飯能】名栗の杜
◎12時半~15時半
◎場所:名栗の杜 埼玉県飯能市上名栗571 ☎042-979-0646
◎ホツマツタヱの27~28アヤ 古代の叡知への誘い
◎参加費:2500/ 定員:10名
 ※縄文カレンダー2026版別途1500/・テキスト⑪(27-28アヤ)別途1000/
  お持ちの方はご持参ください。
◎内容:ホツマツタヱ27アヤ「ミヲヤカミ フナタマのアヤ」
※当日は休業日になります。
 ご希望の方、酵素玄米のお稲荷さんと具沢山のお味噌汁を1000円にてお出しいたします。
 ご予約ください!

 

 

 
 

縄文カレンダー2026年度版

ヲシテ文献から読み取れるコヨミ

トホカミヱヒタメ暦です。

 

ヲシテ時代の年中行事に関する記載は、

アマカミに代々伝わる『カクミハタ』トシウチニナスコトのアヤ

カガミのトミに代々伝わる『ミカサフミ』ナメコトのアヤ

ヲシテ文献を学ぶ基礎となる縄文哲学が示されています。

古代日本、縄文の先人たちの目線で宇宙を感じてみませんか
 

ご希望の際は、
お送り先のご住所、氏名、希望冊数を明記の上、
メールにてお知らせください。
メッセンジャーでもOKです。
mail:yoshico1018@yahoo.co.jp
オンラインshopでもお求めいただけます。

どうぞよろしくお願いいたします!

 

 

◆終了しました。

◆1月8日(木) 【知多郡内海】びわカフェ

◎内容:初回・縄文カレンダーwsヲシテ文字を学ぼう
 

◆1月11日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎内容:ホツマツタヱ1アヤ「キツのナとホムシさるアヤ」

 
◆1月13日(火) 【大紀町】そばかふぇ なごみ庵
◎内容:ホツマツタヱ21アヤ「ニハリミヤ ノリさたむアヤ」
 
◆1月15日 【伊勢】
◎内容:ホツマツタヱ4アヤ「ヒノカミ ミツミナのアヤ」
 
◆1月15日(木) 【Live配信】youtubeヲシテム
◎縄文の年末年始✨️トシワケ・オニヤラヰ
◎アワウタコーナー✨️焚き火♪
 

◆1月16日(金) 【志摩】ホツマなんばり勉強会
◎内容:ホツマツタヱ5アヤ「ワカのマクラコトハのアヤ」

 

◆1月21日(水) 【飯能】名栗の杜

◎内容:ホツマツタヱ24アヤ「コヱクニ ハラミヤマのアヤ」

 
◆2月8日(日) 【伊勢】
◎内容:ホツマツタヱ5アヤ「ワカのマクラコトハのアヤ」
 
◆2月9日(月)【縄文ヲシテ勉強会】オンライン

◎内容ホツマツタヱの8アヤ「タマカエシ ハタレうつアヤ」後編

 
◆2月10日(火) 【大紀町】そばかふぇ なごみ庵
◎内容:ホツマツタヱ22アヤ「オキツヒコ ヒミツのハラヒ」
 

◆2月12日(木) 【知多郡内海】びわカフェ

◎内容:ホツマツタヱ1アヤ「キツのナとホムシさるアヤ」

 

◆2月13日(金) 【志摩】ホツマなんばり勉強会
◎内容:ホツマツタヱ6アヤ「ヒノカミ ソフキサキのアヤ」

 

◆2月15日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎内容:ホツマツタヱ1アヤ「キツのナとホムシさるアヤ」

 
◆2月15日(日) 【Live配信】youtubeヲシテム
◎ヲシテ文字瞑想✨️ハル・ハヒフヘホと春七草
 アワウタコーナー✨️春よ来い・うれしいひなまつり♪
 

 

◆2月24日(火)【東京】久我山LaniHonua
◎内容:ホツマツタヱ16アヤ「ハラミツツシムオヒのアヤ

 

◆2月25日(水) 【飯能】名栗の杜
◎内容:ホツマツタヱ25アヤ「ヒコミコト チオヱルのアヤ」
 

◆3月2日(月) 【Live配信】youtubeヲシテム
 アワウタコーナー♪朧月夜

 

 
◆3月9日(月)【縄文ヲシテ勉強会】オンライン

◎内容ホツマツタヱの9アヤ「ヤクモウチ コトつくるアヤ」

 

◆3月12日(木) 【知多郡内海】びわカフェ

◎内容:ホツマツタヱ1アヤ「キツのナとホムシさるアヤ」後半

 

◆3月15日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎内容:ホツマツタヱ1アヤ「キツのナとホムシさるアヤ」

 
 
◆3月19日(木) 【志摩】ホツマなんばり勉強会
◎内容:ホツマツタヱ7アヤ「ノコシフミ サガおたつアヤ」

◆3月22日(日) 【伊勢】
◎内容:ホツマツタヱ6アヤ「ヒノカミ・ソフキサキのアヤ」
 

◆3月24日(火)【東京】久我山LaniHonua
◎内容:ホツマツタヱ16アヤ「ハラミツツシムオヒのアヤ」

 

◆3月25日(水) 【飯能】名栗の杜
◎内容:ホツマツタヱ26アヤ「ウカヤアオイカツラのアヤ」
 

 

 

 

【縄文ヲシテ勉強会】オンラインショップ:  
アーカイブ動画をご希望の方は、

こちらからお申し込みください。
テキストもご活用ください。

 

国譲り神話✨️カシマタチ(ホツマ伝)

~ホツマツタヱ10アヤ~

 

 

さらに詳しく、状況を世の中に当てて考えますと、

オホナムチの慢心が嵩じている事に、問題の核心がありそうです。

そこで、ツネスミのクニ(出雲)の状況調査に使者を送りました。

 

ヨコベかえりて

もふさくは イツモヤヱガキ

オホナムチ みつれはかくる

ことはりか ぬかおタマカキ

ウチミヤと これコゝノヱに

くらふなり

 

ヨコヘ(現検察官)報告では、

「イツモはヤヱガキ、オホナムチは、

充分に満ち足りた環境にありますが、

満ちた月は、欠けてゆくのが成り行きです。

垣根を「タマカキ」、ミヤを「ウチミヤ」と呼ばせ、

宮中の「ココノヱ」に対して覇を争い、

上をもゆくべしと較べているようです。」

 

さきにみこもり

オモイカネ シナノいなほら

アチノカミ よりてナゝよの

ウナメコト タカギネヤスの

イマミヤに

 

オモイカネもシナノより到着しました。

イナホラ(伊那地方の洞窟)に拠り所を確保して、

アチノカミと尊ばれていました。

 

タガワカミヤの

カフノトノ タカミムスヒの

かみはかり イヅモただすは

たれよけん ホヒノミコトと

みないえは ホヒノミコトに

むけしむる しかれとホヒは

クニカミに へつらいこびて

ミトセまて かえことあらて

オゝセイゝ ミクマノやれは

ちゝがまゝ かえらねはまた

かみはかり

 

ホヒは、オホナムチの主張に納得し、

三年待っても戻ってきません。

さらに使者を送ることとなり、

三人目の使者は、アメワカヒコ。

 

つかはすひとは

アマクニの アメワカヒコと

きわまりて タカミムスヒが

カコユミと ハゝヤたまひて

むけしむる このカミもまた

まめならす タカテルヒメお

めとりつゝ アシハラクニお

のらんとて ヤトセふるまて

かえらねは なゝしのキギス

といくたす

 

タカミムスヒより、カコユミとハハヤ

格式ある武器を朝廷の使者の印として授けられました。

ところが、オホナムチの論理にすっかり丸め込まれ、

タカテルヒメを妻に迎えます。

さらに、自分こそが天下を取るべきだと公言するようになり、

八年も音沙汰無しです。

 

 

アメワカヒコが

かどのまえ かつらのすえに

しわざみて ほろゝほろゝと

なくおきゝ サクメがつげに

なもなくて アメおなくやと

ワカヒコが ハゝヤおいれは

むねとほり とびてタカミの

まへにおち けんけんもなく

       

ちのハゝヤ タカミムスヒは

これおみて とがむカエシヤ

ワカヒコが むねにあたりて

うせにしお カエシヤおそる

もとおりや タカテルヒメの

なくこえの アメにきこえて

 

タラチネの はやぢにかばね

ひきとりて もやおつくりて

かりもかり おくるかわかり

きさりもち にわとよはきし

すゝめいゐ はとはものまさ

さゝきみそ とびゆふまつり

からすつか ヤヒヤヨいたみ

もおつとむ

 

アマクニタマ夫妻は、急ぎ息子の亡骸を引き取ります。

カスガ(弔いの聖地・タマカエシ・万灯会)に喪屋を作り、葬儀を行いました。

カリ(雁)の姿の人は、キサリモチ(詳細未詳、、)で送ります。

ニワトリ(ニワト)姿の人は、掃き清め、

スズメ飾りの人は、イヰ(食べ物)を持ち、

ハト飾りの人は、モノマサ(詳細未詳)

ササキ(みそささい)飾りの人は、ミソ(味噌、、米、、)を持ちます。

トビ(鳶)飾りの人は、ユフ(後世の幣)を捧げて祭ります。

カラス飾りの人は、ツカ(塚・お墓?)を担当します。

こうして、八昼八夜に渡り、喪をつとめます。

 

タカテルのあに

タカヒコネ アメにのほりて

もおとえは このカミすがた

ワカヒコに うるりわけゑず

しむのもの キミはいけりと

よちかゝり ヤホたまゆらと

まとふとき

 

いかるアチスキ

タカヒコネ ともなれはこそ

おちにとふ われおなきみに

あやまつは あらけがらしや

はらたちと もやきりふせる

あおはかり さけてかんとお

さらんとす

 

むかしなかやま

みちひらく カナヤマヒコの

まごむすめ シタテルオクラ

タカヒコの いかりとかんと

みちかうた よみてさとせり

     

(元の力・元へと還る)の働きを円滑に為さしめる(促す)ための

この世の営みの弔いであるモ(喪)を台無しにして、

タマノミスマルのを流してしまうようなことでした。 

アメなるタマが元に還って、早くこの世のミタネとなって、

再びこの地上に戻ってきてほしいものです。

タネを育む(春)の季節は、(和やかなココロ)に生じ、

フタワ(再びめぐりくるこの世の季節)となります。 

足らしめるも、思慮足らずも、あなた次第の事ですよ。

ワカヒコのモ(喪)は、アメに還って、また生まれ変わるための門出ですから。

 

私のしたことは、片手落ちなことでした。

(為す)(右・秋)の「カ」の季節の気持ちだけでは、

(春・伸びやか)(秋・実りゆく)、二つの力によって、

カタチ整い(カタ・フチ・ニ)

創造し、この世に新しい価値をあらわし、

タス(養い治め)を為すのですね。

それで、無念のワカヒコも元に還ることができ、生まれ変わってこれます。

 

あなたのような温かなお心のお方が、

近くに居られて助けて頂けると有難いです。 

 

 

 

このたひは タカミムスヒの

トミカレお のぞくかどでの

カシマタチ わにすきまつる

かみはかり フツヌシよしと

みないえは タケミカツチが

すゝみいて あにただひとり

フツヌシが まさりてわれは

まさらんや

 

さて、いよいよオオナムチの逆心は明白となりました。

「トミ(富み)・カレ(枯れ)」です。

(右)の締り(司)を絶(タ)右大臣の解任更迭を意味します。

使者として、フツヌシが適任という意見が集まりました。

 

たかきいさみの

ミカツチや フツヌシそえて

カシマタチ イツモキツキに

カフツチの ツルギおうえて

うつくまり なちりとふなり

 

みほこりて あさむくみちお

ならさんと われらつかふぞ

そのこころ まゝやいなやゝ

オホナムチ こたゑとわんと

 

 ミホサキの つりえキゝスの

イナセハギ アメのこたえお

とふときに コトシロヌシが

ゑみすかほ われスズカにて

タラチネに ほろゝなけとも

ちのたゐぞ さかなときるも

おろかなり タカマはタミの

ゑみすたゐ いとかけまくぞ

みことのり わがちゝさらば

もろともの かえことなせは

 

コトシロヌシは、父に意見した後、ミホに隠棲していました。

ミホ:現美保神社、島根県松江市美保関町美保関。

イナセハギを使者に立て、ミホのクシヒコに相談します。

クシヒコは、笑顔で答えました。

「父オホナムチに、ススカ(欲を慎む美徳を説くフミ)の精神により、

涙ながらにホロホロとイサメ(心を醒まさせる)を申しました。

 

 

またひとり ありといふまに

あらはるゝ タケミナカタぞ

チビキイワ さゝけてたれか

わがクニお しのびしのびに

おとさんや いてわがちから

くらへんと とるてもイワの

 

ミカツチが とらえてなぐる

あしがひの おそれてにくる

しなのうみ すわといふとき

かしこみて われおたすけよ

このところ ほかえはゆかじ

そむかしと いえはたすけて

 

たちかえり とえはことふる

オホナムチ そのこのまゝお

フタカミえ わがこさりにき

われもさる いまわれさらは

たれかまた あえてなれなん

ものあらし わがクサナギの

このほこに ならしたまえと

いひてさる さかふはきりつ

まつらふは ほめてモロカミ

ひきいつゝ アメにかえれは

 

「我が子も去り、私もイツモ(出雲)より去りゆきます。

そうしますれば、敢えて戦を構える者もなくなりましょう。

我が家伝来のクサナギのホコを捧げます。」

 

コフノトノ まつりおとつて

みことのり なんちフツヌシ

アワウワの とふるみちひき

さかんなり

 

『フツヌシよ、、あなたの導き方は、最良でした。

地面に蹲っての問いかけ、そして、

アワウワのふるミチヒキ さかんなり』

アワウ・ワとやわすココロで、

トの精神を大いに振るい、過ちをタタシ導く

サの栄える働きが発揮された。

 

またミカツチは

カシマタチ イツおあらはす

ものゝべの なんたやわらに

もとすより たまふかんへは

カシマカミ

 

『タケミカツチには、「カシマカミ」の称号を授けます。

「カシマタチ」でイツ(厳しさ・強固さ・心尽し)を充分に表現し得たことで、

モノノヘ(兵士)の辛さ、無念さの涙を融けほぐしたからです。』

 

ときにまつらふ

オホナムチ モゝヤソカミお

ひきゐきて まめもひかげの

なんたあり タカミムスヒの

たゝしゑた ことわりあれは

みことのり

 

たまふアソベの

アカルミヤ アフユおうくる

オホナムチ アカルアソヘの

ウモトミヤ つくるチヒロの

かけはしや モゝヤソぬゐの

しらたてに ウツシクニタマ

オホナムチ ツカルうもとの

カミとなる ホヒノミコトお

もとまつり

 

『アソヘ(現岩木山)のモリの、アカルミヤをオホナムチに譲ります。』

オホナムチは天下晴れてのフユ(賜り物・恩恵)を得ることができました。

立派にウツシクニ(国替え)を為し得、「ウツシクニタマ」と称えられ、

ツカルのクニカミとなりました。

 ※岩木山神社 ご祭神:顕国魂神(ウツシクニタマのカミ)

イツモのクニカミ後任には、ホヒノミコトが任命されました。

 

タカミムスヒの

おをんこと なんぢモノヌシ

クシヒコよ クニツメとらば

うとからん わがミホツヒメ

つまとして ヤソヨロカミお

つかさとり みまごおまもり

たてまつれ

 

たまふよろぎは

なめことの ちくさよろぎの

なおたゝす このみやしれは

よゝのため やめるおいやす

ミチおわけ よつぎはひとり

ヨロギマロ

 

タカミムスヒは、ヨロキの薬草園をクシヒコとミホツヒメに譲りました。

「ナメコト」(大宇宙の実体化の為し来ること)

「チクサヨロキ」(千草万木)のナ名)を正すために有効な森です。

一人産まれたヨロギマロ(ミホヒコ)は、

薬草園のおかげで医学に秀でた特技を得ます。

 

ミホヒコのつま

スヱツミが イクタマヨリメ

ソヤコうむ コシアチハセの

シラタマメ ソヤのヒメうむ

ミソムたり ゆだねひたせは

みことのり たまふヲシテは

コモリカミ セミのおかわに

みそぎして チノワにたゝす

ミナツキや タミながらふる

はらいなりけり

 

ミホヒコは、後に妻を二人迎えます。

スヱツミの娘、イクタマヨリヒメは、十八人の男の子を産みました。

コシのアチハセの娘、シラタマヒメは、十八人の女の子を産み、

合せて三十六人の子宝に恵まれ、

アマテルカミより「コモリカミ」の称号を授けられました。

コモリカミは一年の折り返しの時、その隙間に魔が入り込まないよう、

セミの小川(下鴨神社・糺すの森の瀬見の小川)にミソギをして、

さらにチノワ(茅の輪・大自然のエネルギーの集まる循環の輪)を潜り、

夏から秋への季節の変わりを心身に実感させるのです。

 

参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満・辻公則著・展望社
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。  

 

【縄文ヲシテ勉強会】オンラインショップ:  
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縄文カレンダー、テキストもご活用ください。

 

国譲り神話✨️カシマタチ(ホツマ伝)

~ホツマツタヱ10アヤ~

 

 

 

さらに詳しく、状況を世の中に当てて考えますと、

オホナムチの慢心が嵩じている事に、問題の核心がありそうです。

そこで、ツネスミ(西北の端)のクニ(出雲)の状況調査に使者を送りました。

 

ヨコヘ(現検察官のような役目)の、イツモクニ(出雲)の調査報告では、

「イツモはヤヱガキ(ツルギ、ハタ(旗)、垣根の八重、コト(琴)の音曲)で、

オホナムチは、充分に満ち足りた環境にあります。

ですが、満ちた月は、欠けてゆくのが成り行きです。

オホナムチは、朝廷よりも自国の方が優れていると、自慢して憚らぬ態度で、

国家の秩序が乱れかねません。

ヤヱガキのミヤの垣根を「タマカキ」と呼ばせ、ミヤを「ウチミヤ」と呼ばせ、

宮中の「ココノヱ」に対して覇を争い、上をもゆくべしと較べているようです。」

この報告を受け、対策会議が開かれます。

さて、丁度、タカミムスヒの七代目襲名の時期に来ていました。

皇太子オシホミミの教育係に選任されていたオモイカネ(アチヒコ)

シナノ(信濃)より到着しました。

オモイカネは、この時すでにイナホラ(伊那地方の洞窟)に拠り所を確保して、

アチノカミと尊ばれていました。

七代タカミムスヒ・タカギネ(タカギ)の襲名のウイナメの祭祀が、

ヤス(野洲川流域地方)のイマミヤにて執り行われました。

重大問題の解決を図るための下準備は整いました。

 

 
 

さて、この後、皇太子オシホミミのタガワカミヤ(現多賀大社)にて、

イツモへの対策会議が開かれ、

議事進行の七代タカミムスヒ・タカギがみなに問います。

「イツモ(出雲)のオホナムチを糺すための使者として、誰が適任か?」

「アマテルカミのご長男のホヒのミコト(皇子)がよろしいでしょう。」

ホヒは、ネとサホコを治めていたクラキネの娘、モチコとの間の皇子です。

まさに適任といえましょう。

使者として遣わされたホヒのミコトでしたが、オホナムチの主張に納得し、

オホナムチの許で使者の役目をも忘れてしまったかのようで、

三年待っても戻ってきませんでした。

そこで、ホヒの子息のミクマノを、さらに遣わしましたが、

父の言うがままになり、帰朝の素振りもありません。

そこで、再度会議を開き、さらに使者をイツモに送ることとなりました。

三人目の使者は、アマクニタマの子息、カナヤマヒコの孫のアメワカヒコ。

 

優れた家系のアメワカヒコへの使者としての期待は高まり、

タカミムスヒ(タカギ)より、カコユミとハハヤ(ハタレ平定にも典拠あり)

格式ある武器を朝廷の使者の印として授けられました。

ところが、先の二人の使者同様、オホナムチの論理にすっかり丸め込まれ、

オホナムチの娘、タカテルヒメを妻に迎えます。さらに、

自分こそが天下を取るべきだと公言するようになり、八年も音沙汰無しです。

そこで、今度はナナシのキギス(無名の使者)を遣わしました。

 

 

 
 

無名の使者は、アメワカヒコに門前払いされましたが、

玄関の前で盛んに忠告しようと涙ながらに訴えます。

サクメ(女中)が聞きつけ、アメワカヒコに告げますと、

「下級の使者がなにを、、五月蝿いことだ。」と

朝廷からの詰問使の御印のハハヤを朝廷からの使者めがけて射ました。

ハハヤはナナシのキギスの胸を打ち抜き、

 

血塗られたハハヤをじっと見て、七代タカミムスヒは覚悟を決めました。

先ずは、アメワカヒコに対して、返し矢を送らねばなりません。

タカミムスヒの送った射手は、アメワカヒコに死をもたらしました。

 

アメワカヒコの両親のアマクニタマ夫妻は、急ぎ息子の亡骸を引き取ります。

カスガ(弔いの聖地・タマカエシ・万灯会)に喪屋を作り、葬儀を行いました。

見送りの行列には、鳥の飾りを付けて臨みます。

カリ(雁)の姿の人は、キサリモチ(詳細未詳、、)で送ります。

ニワトリ(ニワト)姿の人は、掃き清め、

スズメ飾りの人は、イヰ(食べ物)を持ち、ハト飾りの人は、モノマサ(詳細未詳)

ササキ(みそささい)飾りの人は、ミソ(味噌、、米、、)を持ちます。

トビ(鳶)飾りの人は、ユフ(後世の幣)を捧げて祭ります。

カラス飾りの人は、ツカ(塚・お墓?)を担当します。

こうして、八昼八夜に渡り、亡くなったアメワカヒコの喪をつとめます。

 

 

その喪中のうちに、亡きアメワカヒコの妻タカテルヒメの兄であり、

また親友でもあるタカヒコネがイツモ(出雲)より弔いにやってきました。

タカヒコネの姿をみた親族たちは、亡きワカヒコにあまりにも似ていると、

「生きておられたのだ!八年ぶりの奇跡」と、タカヒコネに纏いつきます。

 

ところが、タカヒコネは怒りをあらわにし、

「ワカヒコとは、親友だったからこそ、遠路はるばる喪を弔いに来たのだ。

我を亡き身と誤まるとは、なんと汚らわしい!如何にも腹立たしい限りだ」と、

ツルギを抜いて、モヤ(喪屋)を斬って崩し伏せ、そのまま去ろうとします。

アオハカリ、、なんとも浅はかな子供じみた行動です。 

 

驚く親族縁者たちの中に、アメワカヒコの妹、オクラヒメが居ました。

タカヒコネの怒りを鎮め、諭そうと、ウタを詠みました。

 

 

 

さて、いよいよオオナムチの逆心は明白となりました。

オホナムチは、豊かさが高じて、慢心という不具合を生じさせたのです。

「トミ(富み)・カレ(枯れ)」です。

オホナムチは、ツルギを司る、右のトミ(臣)でした。

『カシマタチ、、』

(右)の締り(司)を絶(タ)、つまり右大臣の解任更迭を意味します。

『ワニスキマツル、』

現在の地鎮祭のような清めのお祭りをした後の会議開催です。

「カシマタチ」の使者として、フツヌシが適任という意見が集まりました。 

 

「どうして、フツヌシただ一人、私はその役目に適任とは言えませんでしょうか?」

武術の達人、タケミカツチの勇みの強さが滲みでます。、

フツヌシを長官に、タケミカツチを副長官に副え遣わすこととなりました。

さて、イツモ(出雲)のオホナムチのキツキミヤ(杵築大社)の前に行き至った

カシマタチの使者(武装軍団)は、ミヤの前にツルギ(剣)を植え立てます。

ツルギの傍に蹲り(土下座)、口上を述べました。

「あなたは、自国の豊かさをみ・ほこり(身・誇り)ているばかりです。

宮中に較べて張り合おうなど、全国的な見地からみれば、

国民を欺いた考えでしかあり得ません。

平定せざるを得ず、我らは朝廷より使者として派遣されました。

恭順に復するか、否や。」

答えによってはイクサの構えのカシマタチの使者の言上に、

オホナムチは、即答することはできませんでした。

 

オホナムチは、少し前に、継子のコトシロヌシ(クシヒコ)が、

かなり思いつめた表情で意見してきたことを思い出しました。

そのときは、何なのだろうか?と、気にも留めずにいましたが、

カシマタチのツルギを押し立てられたことで、

もう無風のうちには戻れないことを知りました。

コトシロヌシは、父に意見した後、ミホに隠棲していました。

ミホ:現美保神社、島根県松江市美保関町美保関。

オホナムチは、イナセハギを使者に立て、ミホのクシヒコに相談します。

釣り三昧に隠棲のクシヒコは、イナセハキの用向きに笑顔で答えました。

「私は、父オホナムチに、ススカ(欲を慎む美徳を説くフミ)の精神により、

涙ながらにイサメ(心を醒まさせる)を申しました。

 

使者のイナセハギが報告しますと、

オホナムチの子の一人、タケミナカタは、

「オホナムチの子は、クシヒコだけではない。我を忘れて貰っては困る。」

と意見も聞かず、事を構え、フツヌシに挑みかかります。

「我が国を、忍び忍びに脅し取ろうとするのか!

さあ、出でてみよ!我と力比べをしようではないか!」と、

千人で引くような大きな岩を持ちあげてタケミナカタは叫びます。

 

そこへ、タケミカツチが出で、タケミナカタの持ちあげている大岩を

取るが早いか、軽々と投げやりました。

剛力に驚き恐れ入り、逃げ行くタケミナカタをタケミカツチが追いかけます。

いよいよスワ(信州)で追い詰められたミナカタは、降参して命乞いをしました。

タケミナカタは、この地に留まることになります。

 スワ:延喜式記載の南方刀美神社(みなかたとみのかみやしろ)、通称、諏訪大社。

 

イツモに戻り、オホナムチにさらに問いますと、恭順を示して答えます。

我が子も去り、私もイツモ(出雲)より去りゆきます。

そうしますれば、敢えて戦を構える者もなくなりましょう。

我が家伝来のクサナギのホコを捧げます。平定の一助となさってください。」

これを受けて、フツヌシ、タケミカツチは、イツモ(出雲)の平定を進めます。

逆らう者は斬り、従う者は褒めてまとめ、皇太子オシホミミの待つ、

タガノミヤ(現多賀大社)に帰還します。

 

 

『また、タケミカツチには、「カシマカミ」の称号を授けます。

「カシマタチ」でイツ(厳しさ・強固さ・心尽し)を充分に表現し得たことで、

モノノヘ(兵士)の辛さ、無念さの涙を融けほぐしたからです。』

 

オホナムチは、一族の180人の司を率いて、朝廷のお役にと奉仕をします。

その姿は、マメ(忠節)で、裏表がなく、人々が涙するほどの

評判を呼びました。

そこで、タカミムスヒは、自国の土地で開発の遅れ気味な処を

割譲する意向を上程しました。

 

『アソヘ(現岩木山)のモリ(杜)の、アカルミヤ(詳細未詳、、三内丸山?)

オホナムチに譲ります。順次に開発を進めてゆくと良いでしょう。』

オホナムチは天下晴れてのフユ(賜り物・恩恵)を得ることができました。

『アカル・アソヘ』の中心のミヤ(政庁)は、入口の階段をチヒロ(千壽)もの

長い立派なものに作り、モモヤソ(百八十)ヌヰのシラタテ(詳細未詳)に、

立派にウツシクニ(国替え)を為し得、「ウツシクニタマ」と称えられ、

ツカルのクニカミとなりました。

 ※岩木山神社 ご祭神:顕国魂神(ウツシクニタマのカミ) 

イツモ(出雲)のクニカミ(国司)後任には、ホヒノミコトが任命されました。

さて、七代目タカミムスヒのタカギは、クシヒコに結婚を勧めました。

「汝、二代目モノヌシ・クシヒコよ、、

クニツメ(一般女性)を娶るとなると、うまくいかないこともあるでしょう、、

我が娘、ミホツヒメを妻として、ヤソヨロカミ(八十万の司)として、

ミマコ(ニニキネ)の守護を万全にして下さい。」

 

タカミムスヒは、ヨロキの薬草園をクシヒコとミホツヒメに譲りました。

ヨロキの薬草園:現滋賀県高島市

「ナメコト」(大宇宙の実体化の為し来ること)

「チクサヨロキ」(千草万木)のナ名)を正すために有効な森です。

クシヒコとミホツヒメとの間に一人産まれたヨロギマロ(ミホヒコ)は、

薬草園のおかげで医学に秀でた特技を得、

アマテルカミより「コモリカミ」の称号を授与されます。

 

ミホヒコ(三代目モノヌシ・コモリカミ)は、後に妻を二人迎えます。

スヱツミの娘、イクタマヨリヒメは、十八人の男の子を産みました。

コシのアチハセの娘、シラタマヒメは、十八人の女の子を産み、

合せて三十六人の子宝に恵まれ、アマテルカミより

「コモリカミ」の称号のヲシテ(文書)を授けられました。

コモリカミは、夏の終わりにミソギをして体調を整えます。

ミナツキ末、一年の折り返しの時、その隙間に魔が入り込まないよう、

セミの小川(下鴨神社・糺すの森の瀬見の小川)にミソギをして、

さらにチノワ(茅の輪・大自然のエネルギーの集まる循環の輪)を潜り、

夏から秋への季節の変わりを心身に実感させるのです。

古い伝統からのミナツキ(旧暦六月)末のミソギとチノワ抜けの行事は、

健康長寿への習わしとコモリカミは一般の人にも教え広めました。

 

 

参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満・辻公則著・展望社
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。 

 
 

春分✨️ハルイタル

 

キサラキ新月の翌日に春分を迎えました!
新月から満月へと向かうエネルギーと
春分から夏へと向かうエネルギーの相乗効果で
ぐんぐんと春めいて来そうですね!

 

キサラキ・ナカ(和暦二月望・西暦2026.4.2 11:12)
今年の月の巡りの春の至りはもう少し先ですが、

ヲカミ(太陽・昼・温)は夏へと向かい始めます。




これより、季節はタの守り🌸
月は東に、日は西に♡
昼と夜の長さが等しく、ヲガミ・メガミの並び立つ春分です。
いよいよ春本番!
これより、ヲカミ(三温)の光増し、日増しにポカポカと温かな陽気になります。
タ(三陽)の守りです。

ちなみに、
春の至りを知らせる月の巡りの満月と
太陽の巡りの春分点を並べてみた♡

◎国立天文台 今日のこよみ(三重県津市) 
旧暦2/15(西暦4/2)満月11:12🌟日の出5:40 日の入18:16
日の出 5:40
日南中時 11:58
日の入り 18:16
月の出 18:33
月南中時 --:--
月の入り5:24

春分3/20(旧暦2/21)🌟日の出5:58 日の入18:05
日の出 5:58
日南中時 12:01
日の入り 18:05
月の出 6:21
月南中時 12:50
月の入り 19:30
※日出・日入、だいたい6時・18時、昼夜の長さが同じ
 
日増しに日がどんどん長くなります♡
日向ぼっこで免疫アップ(^^)v


「タ」カミカタチ(文字形)
  わのなかに みひかりのあし なかにみつ ミカサフミナメコトのアヤ
ヲカミのミヒカリ(三陽・集めるなどタ行父音)の陽光が、
 ウツホ(大気・空間などア母韻)に満ち満ちて響きます。


(タ行父音):「たす・集める・まとめる・協力・尽す」など、
*複数のモノ・分散しているモノなどを受ける。
 動いているもの・変化しているものを受け止めるイメージ。
*合わせて繋ぐ(縦線は一種の収束線)などのイメージ。
 分散しているもの・変化しているものを、
 集めて、流す・まとめる・足し合わせて次につなぐイメージ。
*様々なところから中心へ集まってくる・集まる・物事がまとまる・まとめるなど。


(ウツホ・ア母韻):「天・空・宇宙・空間・最も軽いモノ・原初的なモノ」など。
*「空間」は、目に見えないモノが満ちている。
 そこからすべての物事が、イノチが、生み出されてくる、生み出すみなもと。
 ウ:動きがあり、
 ツ:集まり、
 ホ:まとまり、何ものかを生み出す。
*「マル」(〇形)は、「絶え間ない循環」を表わしています。
 絶え間なく振動、循環し、動いている、安定した振動、
 そこからすべてのモノやイノチが生み出されてくるイメージ。
*「時制」では、「物事の始まり・最初」のイメージ。
 「軽い・透明・上にある・そのまま・本質・入れ物・はじまり・生誕」など、
 また「放置された・粗削り・荒っぽい・未完成・未然」などのイメージ。

    
【キサラキナカ:旧暦ニ月望月】



タのナメは、夜中の天の川がキ(東)に架かります。
真東から昇る朝日。
春分を迎えると、ミツヲカミ(三陽)のもたらす陽光に、
アオヒトクサ(人々)も潤され伸びやかになります。
イトユフ(細い陽炎)がのどかな陽気に揺らぎます。
春分の日は、自然を讃え、生物を慈しむ祝日です。お墓参りにも良い日和です。

たはきそらてる
みつをがみ きさらぎなかに
みつをきて あおひとくさお
うるおせば いとゆふのどか 
トシウチニナスコトのアヤ



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
  http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。
編集:冨山喜子

旧暦キサラキは、仲春とも言われ、春分を迎えます。

今年は、翌日が春分✨️

月の満ちゆくエネルギーと相まって、

ぐんぐんと春めいてくるでしょう❀
縄文カレンダー・トホカミヱヒタメ暦では、
「ヒ」のナメから「タ」の守りへ移る過渡期です。
 



◎キサラキについては、こちらもご覧ください。
ヲシテ文字瞑想✨️キサラキ
 

 

 







ムママツリ【キサラキ初旬(旧暦二月初旬】

きさらきや こりゑこゝろみ
むままつり よろぎひいつる
かみかたち
    トシウチニナスコトのアヤ



きさらきは メヲほぼやわし
きざしおふ たねかしまつる
いなるかみ のりゆみひらき
もちまてに そこにふきたつ
はつひかせ これかみかたち
 ミカサフミナメコトのアヤ




キサラキ(旧暦2月)に入ると、
ヲカミ(二陽)のキザス(萌す・兆す)働きが強まり、
ヲカミ・メカミの並び立つ(二陽・二陰)「春分」へと向かいます。
メ(固まる力)とヲ(生えゆく力)の拮抗のお祭り。
ノリユミ(後のヤブサメ)を行います。


ヲシテ文献には、馬の記述がたくさんあります。
まず、天地開闢のとき、
アメミヲヤがクニタマ(地球)を、
ウツロヰをムマ(馬)に乗り巡り、、とあります。(18アヤ)
アブミ(鐙)やクツワ(轡)など、馬具の使用法や
乗りこなす技術も伝えています。(19アヤ)
各地域からアマテルカミに献上された馬のそれぞれの特徴も興味ふかいです。
カトリカミは、アマテルカミのムマヤヲサメ(馬司)で、
その師匠はトヨケカミで、乗馬の達人でもありました。



「タネカシマツル・イナルカミ」とは、
 現在の「祈年祭」・「鍬山神事」に通じると考えられます。
『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事には、弓のことも記されていました。


◎祈年祭【キサラキ四日】※旧暦二月四日。改暦後西暦二月十七日。「神宮諸祭典」
 祈年は「トシゴヒ」と読む。年は古語で穀物のこと。
 農本の國として農事の初に本年の五穀豊穣を両宮の大前に祈り奉る祭儀。
 この日神宮には祭主宮を始め奉り、大少宮司以下が神前に奉仕し、
 宮中からは勅使が立ち、儀仗兵の堵列もあって、荘厳に祭典が施行さるる。

※現在の伊勢神宮ホームページによると、、
「祈年祭」は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈る「としごいのまつり」とも呼ばれます。
「トシ」とは稲の美称であり、「コイ」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の
 豊かな稔りを祈ることを意味します。
 稲の育成周期が日本人の一年、農耕が生活のすべてであった時代、豊作を祈ることは、
 国家の安泰・国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。
 そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、奈良時代の『延喜神名式』によると、
 神宮を始め全国二八六一社の神々に幣帛が奉られていました。
 特に神宮には天皇が勅使を差遣されてお祭りが行われており、朝廷の崇敬の念が窺われます。


◎鍬山神事【二月朔】「宮中神事」
 神田に下種するについての鍬山神事は、内宮は二月朔日、外宮は同月上亥日に行われ、
 内宮では禰宜・内人・物忌等、當年「歳徳神」の在る方を鍬山として之に登り、
 山口の神を祭り、木本祭を為し、木を伐って忌鍬を作り、之を持って山を下り、
 神田に臨んで耕田の型をするのである。
 また神官の一人が桶に小石を入れて種と称へ、之を蒔く型をする事もあった。
 この時田舞といふ舞を為し、折敷を鼓の様に打って歌をうたふ。その歌の一つに

 あなたのし 今日の楽しさ
 いにしへも かくやありけむ
 今日の楽しさ

 外宮では、役人が榊枝を伐って忌鍬を作り、歳徳神の方に祭場を設け、
 役人が多賀山下に至って山入りの行事をなし、禰宜以下本宮に参拝して祭場に列座すれば、
 役人が修祓した後も忌鍬で耕田の状をなし、禰宜もまた其の鍬をとり、
 神歌を唱えて耕田のまねをして豊年を祈り、役人又祓を修し、各員八度拝して退坐するのである。
 是より諸所の神田も耕作せられ、民間のも耕作せらるる事となったのであるが、
 明治五年二月にこの神事は廃せられた。


◎弓の事【正月中】
 弓を射て遊ぶことは古くよりあった事で、宇治地方でも正月中、不動明王院の門内に射場を設け、
 町の人々が素襖(すおう)・鳥帽子で之を競射したが、維新後絶え、明治十年頃より
 町民の協議によって「弓の事」と称し、神事に擬して形のみを再興した場所は、
 中之切町、山神社の下川辺であった。
 宇治神社:https://blog.goshuin.net/uji-ise/


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
◎『伊勢神宮』ホームページhttp://www.isejingu.or.jp/index.html
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。