ありがとうって、やっと言えた。
私のベースの先生が旅立たれてちょうど1ヶ月。ご自宅にお伺いし、お焼香させていただきました。
ずっとベースがやりたかった私。
そんな私に、もう重くて使わないから、あげるよってベースをくれた先生。
レッスン代とかいらないから、おいでって言ってくれた。(もちろん、困る先生を承知の上で無理やりお支払いした)
初めて触れた、ベースの世界。
今までは、低音のリズムがかっこいい!とか、ベースがリズム刻めば、合奏しても走る人もいなくなるな、そんなことしか思っていなかった。
でも、始めてみてわかった。
なんと奥深く、自由な楽器なんだと。
というか、自分のセンスが色濃く反映するのだ。
音選び、リズム選び。
先生は自由にやらせてくれた。
私にはベースの基礎が何もなかったので、先生は、基本の基本を教えるのに苦労なさったと思う。
理論はわかってても、指が動かなかったり。頭がフリーズしてしまったり。
子供の頃から譜を読むのが苦手で。そんな私に、音楽理論を教えるのは、きっと、大変だったと思う。でも、いつも、褒めてくれた。ひとつでも、進歩したところを見つけて、
「すごいすごい。ちゃんと覚えてるね。」
「バッチリ決まったね」「センスがあるね」
たくさんたくさん、褒めてくれた。
だから、わたしも楽しく学べたのだ。
先生が、闘病中ということ、バンマスから聞いてはいた。
抗がん治療もしているのも……
でも、毎日ジムで筋トレして、ライブもやって、精力的に活動なさっていたから、体調の悪さなんて、感じさせなかった。
年末に、先生が話してくれた。
去年の秋に、余命7ヶ月と言われたこと。
飲み下すことが、難しくなっていること。
手が、しびれていること。
笑いながら、余命以上生きてるよ、と。
バンドメンバーも、それは知らされてなかったみたい。
私も抗がん剤やったし、今も治療中だって知っていたから、話してくれたんだと思う。
年が明けて、1回めのレッスンのとき、
お正月にお孫さんが来てとっても楽しかったと、笑顔で話されていた先生……
その日のレッスンは、ハワイアンではなく、JAZZの「枯葉」でした。
その次の週のことです。
「急遽入院することになりました。
退院の予定はまだはっきりしません。
次のレッスンはまた連絡します。」
と、LINEが来ました。
「お帰りが待ち遠しいです。」と、お返事し、何回かやり取りして……
次の週から、既読がつかなくなった。
なんだか不安が込みあげてきた。
「クラウンフラワーが咲きました。
春が近くにいるように感じます。
先日は雪で大変でしたが、
今日は日差しも暖かいです。」と送ったのが最後。
奥様から電話が入って、訃報を知った。
2月6日に旅立たれたそうです。
肺炎になっていて、熱が下がらなかったそうです。
バンマスからも連絡あり、「最後に会ったのはつぐみさんです。」と………
そのあと、私、寝込んでしまいました。
先生はいつも自分の中にいらっしゃる、いつも見ててくれる。そんな気がしてる。