約束の車。私のS30Z定期整備。 | S30Zリビルターのブログ

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今日は!

 

連休ごゆっくりされていますか?

私は連休、この時間を有効に使っています。

 

所有するS30Zの定期整備を行いました。機械ものは何といってもメンテが肝心です。

 

 

定期点検、一気に行いました。父親の職場の建屋の影のあるところで作業します。

5月の日差し。暑いです!

 

シルバーのフロントウィンドーカバーは、オリジナルのS30Z用サンシェード、ステンシルで日産ロゴを入れてます。

 

 

下回りのグリスアップ。

トラックメカ時代に使っていた古いグリスガンです。今でも使えます!

乗用車にはこのグリスガンを使うことはもうありませんが、トラックやバスには今でも使います。

 

 

 

日産スポーツオプションMK63型

4PODベンチレーテッドブレーキ

北米240Zからの移植部品。私のもとに来た時、純正品ではなく、この競技用部品が付いてました。

左ハンドル240Zは、諸条件から再登録が出来ないので、部品取りとして使うこととなり、現在のS30Zに転用しました。

さすが競技用だけあり、制動力は強力です。

 

フロントとリアのタイヤを外し、ブレーキオイルの交換。と同時にクラッチのオイルも交換します。

 

 

こちらはフットブレーキのブレーキオイルタンク。

この時代は前後独立のオイルタンクを備えております。

 

 

クラッチオペレーチングシリンダー。

 

クラッチオイルもブレーキオイルも新品に入れ替わりました!タンク内のオイルが透明。新油に入れ替わった証拠です。

この油圧関係のオイル、実はずっと交換しないでおいておくと劣化します。

また湿気も吸いやすい特性を持つので、ブレーキ関係の部品が錆びてしまいます。

 

私は定期的に3年間に一度ぐらいにこの油圧オイル(ブレーキオイル+クラッチオイル)を交換しています。

 

写真にある、ブレーキマスターシリンダーとクラッチオペレーチングシリンダーは、数年前劣化したため新品に交換しました。

暫く大丈夫です。

 

 

 

 

ステアリングのダストブーツです。S30Z購入時、左右のどちらかがこのブーツにダメージがありました。

レストア時に新品に交換。

ステアリングラック本体も全分解し、油脂も新品にしています。

 

 

元レースカーから移植した、エンジンフロントベルトプーリー。

 

大きく丸い部品がプーリーと呼ばれる部品です。高速運転時のエンジン振動を吸収する重要な部品です。

ずいぶん長い事探した部品でした。日産スポーツコーナー(現在のニスモ)

この部品を所有していた前のオーナーさんは、この部品はレース仕様のZに使っていましたと、教えてくれました。

 

このレース部品以外にも、青い色のエンジンプーリーもあります。

 

 

この部品も同じく、ニスモ・エンジンプーリーです。

 

これはネットでたまに見かけます。それでも以前に比べて見かけない部品になりましたね。

この部品に対応する特殊な細いベルトも製造廃止品扱いなんです。困りましたねー・・・。

 

現在は社外品でどうにか対応しています。

 

 

 

 

当方のS30Zは、純正品でも効率の良いマフラーを採用しています。

Z432に採用されていた純正品のZ432・2本出しマフラーです。

 

車は小さいけれど、音は勇ましいです。^^

材質は鉄製。

サビて穴が開いたら、職場の先輩がステンレス鋼板でマフラーを製作してくれる個人企業を教えてくれました。

私は事後、そこでS30Zのマフラーを製作依頼する予定です。

 

 

今日はエンジンオイル交換はしていませんが、後日エンジンオイルの交換をします。

 

このエンジンを全分解したのは2012年の8月。

大幅に加工部品を採用して再組立てをしてからもう10年を超え、最近エンジン調整をしています。

 

オリジナル部品や加工部品を使い、自分がこうして組み上げようと考えて改めて組み立てたL型エンジンです。

製造ラインでは行わない純正部粉の加工を行い、一部の部品では重量を合わせたりしています。

 

個人でエンジンをばらして乗れる車は昭和の40年代の車ぐらいでしょう。

単純明快。

まるで、タイヤが4つ付いたバイクのような感じがします。

 

電子制御ではなく、あくまで人が操作する。

理屈は存在しません。

ただ単純。

 

速く乗るだけではなく、ドライブが楽しい時代の車です。

昭和の40から50年代の車は、メーカーなど問わず、そんな車がたくさん存在します。

 

昭和後期から平成になると、電子化が加速し、メンテナンスがより難しくなります。

 

 

スピンナーハンドルでホイールナットを確実に締めこみます。

 

今日は天気が味方してくれてます。

安心して屋外で自動車のメンテナンスが出来ました。

 

 

いつの日か、また公道に戻る日を願いながら。

 

その日がまた訪れたら、中古新規登録が出来た日に行った走行ルートを走ります。

その走行ルートは、かつて兄と語り走った、百里基地航空祭に行った時と同じ道。

 

 

航空祭に向かう車内での話、兄と私と語ったその時を、私は忘れてはいません。

 

兄:「お前が作った車で、どこか出かけよう。」

私:「やってみるよ、ベースの車を買ってさ。出来るかどうかわからんけれど。面白そうだ!」(笑)

 

兄とお別れする前の平成5年5月のお話です。

 

それから何年か後、私は千葉で、ベースとなる白いS30Zと出会い、自宅の車庫で修理を受けて9年間過ごし、苦難の末路上に戻りました。

修復後、日産学園に行き、恩師にZを見せる約束で恩師のもとに行きましたが、訪れた1から2年前に、恩師は沖縄に帰ってしまってました。しかし、恩師と親しい元テストドライバーの方の再会を果たし、懐かしいZをお見せすることが出来ました。

数年前の沖縄旅行の際、学園で出会えなかった恩師と再会し、修復したZの写真を見せることが出来ました。

 

 

 

中古新規登録したその日、航空祭に走った同じ道を、兄の遺影を助手席に乗せて走ることが出来、兄との約束を遂に果たしました。

(兄はきっと乗っているのでしょうけれど、当然ながら話はできませんし姿も見えません・・・。会って話したいけど非情にも願いは叶わず。写真の兄を見れば笑っています。私は言葉出ず、年甲斐もなくボロボロ涙をこぼし、かつて兄と走ったその道を、サングラスで目を隠して走っていました。)

 

 

しかし、兄との約束は果たせたのです。もう十分、悔いはありません。

 

 

 

古い車は妥協しないと、本当にその車が好きでないと乗れません。

製造から半世紀も前の車ですから。

もう目の前の車を逃したら、二度と同じ車に出会えるか分かりませんから、そういう意味では、人生の伴侶と同じ立ち位置かもしれません。(但し、私個人の感覚です。(;^_^A )

 

旧車購入にあたっては・・・、

その車のコンディションと、購入額、現在当該車両が置かれた、現在のメーカー純正部品供給状態を承知した状況であれば、購入してもいいと思います。

 

但し、それなりの覚悟と、パーツリストや工具、純正整備書は必須アイテムとなります。

ご自身でメンテ出来る方であれば問題ありません。

 

74度競技用カムシャフトのエンジンは快調です。

 

それぞれのお車が傷んだところも、そのお車の生きてきた歴史そのもの。

私が修復したその跡も、今や私のS30Zの歴史でもあり、私の人生の歴史の一つになってしまいました。

 

最近、知り合いが同じ時代のS30Zを購入し、10年ぶりに私の家に訪れました。

ナンバー付きのほぼ純正Zを乗って!

私も久しぶりにステアリングを握りましたが、楽しいですね!♪また私のZ 、走らせたいです。

 

機械は、メンテが肝心です。

メンテ怠れば、結果はそれなり。機械は正直であり、嘘をつきません。

 

 

部品取りの240Zは走れなくとも、部品単位で右ハンドルのS30Zに生かされてます。

 

純正ライトグリル・ラジエターグリル・サスペンション・トランスミッション・クラッチキット、オイルクーラーや電装品等。

北米240Z部品取り車あっての私のS30Zが存在します。

 

72年生まれの兄は空のかなたに居りますが、兄と同い年製造のZは自らの手で生き返らせました。

努力と執念。兄との約束を必ず守るため、壊れたZが兄だと思って。

 

日産学園に行かなかったら、恩師とのかけがえのない思い出も出来ませんでした。

兄・Z・恩師・日産との縁。どれ一つ欠けてもこの車のお話は書けません。縁は本当に大切です!

 

 

気合と根性で再生した私のS30Z、今も変わらず元気です!

 

整備士らしい休日を過ごせました。出会ったS30Z、何人かのオーナーの想いを乗せて走ってきた歴史を持っています。

このZ、末永く大切にし、来るその日には必ずZを公道に復活させます。

 

 

 

日産よ、永遠なれ!!

 

 

 

連休ごゆっくりお過ごしください!