10年以上前に共に働いていた仲間(後輩)の1人と
最近 連絡を取ることがありました。
数年前に会った時も素晴らしい結果を残しているようだったけど(売上全国2位 海外旅行の賞与!)
今でもまだ頑張っているらしい。
凄いなぁ。
当時からなんか違うとは思っていた。
同じ(と自分は思う)ことをやっても
彼女は何も言われないけど、私は叱られる
不思議で仕方なかった。
なんかあるんよな、なんか。
もちろん努力もあるけど、また違う何かが。
一時共に過ごした仲間は
気づけば 遥か遠くを歩いていたりするものよね。
最近本を読みました。
今村翔吾さん 著
『八本目の槍』
賤ヶ岳の戦いでの 武功を讃えられたいわゆる神セブンと
石田三成との関わりが描かれた内容です。
6本槍 権平(平野長泰)のチャプターは
そんな何か足りない自分を読んでいるようで
共感しまくり。
あたりまえやけど、
名が残る歴史上の人物も色んな感情があったんやろうなぁと
親近感が湧きました。
上手いこと立ち回れない不器用な自分を
少し慰めてもらった気がします。
いゃ、才がある人の側って しんどいよね。
ある程度『この人は自分とは違う人』と、割り切らないと。
隣の芝生は青いというけど
そもそも種が違うのよ。
そんできっと隣の芝生は
夜 見えないとこで消毒したり
せっせと何かやっているのよ。
そう思う事にしています。
自分を受け入れるって
なかなかにしんどい。
でも多分 そういう人がほとんどなんやろうな。
☆追記☆
絵が得意で羨ましいなんて、
言われることがごくたまにあるけど
それはそれだけで食べていける力がある場合はね。
その昔 営業トークがてんでダメな私は
絵を描いて商品をおすすめしていた。
絵はトークより明らかに手間や時間がかかる上、
他のスタッフからも頼まれて描くのに
もちろん自分の売り上げにはならない。(歩合制でした。)
お客さんからは、
(私ではなく)その担当者が描いたと思われ
感謝されることもなく
何かやりきれない気持ちを抱いていました。
ただ、
同僚から感謝されることだけをやりがいにしていました。
数年前職場の方々と同窓会をした際、
私がパートで絵を描いていることを知った
元同僚は言いました。
「へぇ〜、絵描くの上手なん?」と。
あれ??
個人レベルの“絵が得意“なんて、
そんなもんですな。