もう2月にもなってしまいましたが、あけましておめでとうございます。
紫奴でございます。
お正月に彫りあげたのですが、なかなかブログにアップ出来ずじまいでした…
なので今回は長文です。しかもハンコの話ではないですが、よければお付き合い下さい。




皆さんは植村直己さんをご存じでしょうか?今の若い方はご存じないかもですね。
1941年、兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)に生まれました。
加藤文太郎(新田次郎著『孤高の人』)に憧れて山行を始める。
大学卒業後にアルプスの氷河を見るための資金稼ぎにアメリカに渡航。しかし不法就労により逮捕されるが、登山資金を集める為に働いていたこと、どうしても山に登りたい、登るまでは帰れないと語り、強制送還を免れる。
しかしアメリカには留まれず、フランスシャモニに向かいモンブラン単独登攀を目指すが、クレバスに落ち失敗。

モルジヌのスキー場で冬季オリンピック滑降の金メダリストのジャンヴュアルネに雇ってもらい資金を稼ぐ。
長くこのスキー場は植村直己の登山活動の拠点となる。

1965年4月、ゴジュンバカン(チョ・オユーⅡ峰)登頂

1966年7月、モンブラン登頂、同7月マッターホルン単独登頂、10月キリマンジャロ単独登頂

1968年、アコンガグア単独登頂、アマゾン川6000キロのいかだ下り、その後北米最高峰マッキンリーを目指すが、単独登攀の許可が降りず断念。帰国する。

1970年、日本山岳会のエベレスト登頂隊に荷揚げ、ルート工作員として参加するがセンスが認められ、第一次アタック隊として5月11日南東稜から登頂する。しかしこの遠征で極地法による登山に疑問を抱く。

1970年8月、再びマッキンリーでの単独登頂を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。

1971年、冬季グランドジョラス北壁完登。
8月南極横断の為、同じ距離となる北海道稚内から鹿児島までの徒歩日本縦断。51日で歩ききる。

1974年12月~1976年5月まで北極圏12000キロ犬ぞり探検成功。

1978年、犬ぞりを操って人類史上初の北極点単独行に成功。ナショナルジオグラフィックの表紙を飾る。
同年グリーンランド縦断成功。

1980年、エベレスト厳冬期登頂を目指し日本隊編成されるが、登攀隊員の事故死により断念。

1982年、南極点単独犬ぞり探検はフォークランド紛争勃発により軍の協力が得られず断念。
その後野外学校設立の為、ミネソタ州の『アウトワード・バウンド・スクール』に参加。
アラスカでマッキンリー厳冬期登頂を目指す。
1984年、2月12日、43歳の誕生日に世界初の厳冬期単独登頂に成功したが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となる。
植村が山頂付近に立てた登頂の証である日の丸の旗棹と、最終キャンプ地跡の装備が遺品として見つかるが、今もなお遺体は見つかっていない。

人一倍臆病で、自分に対して常に劣等感を抱き、自分が持ち上げられる事を嫌ったが、逆にその劣等感をバネに人一倍努力し、数々の冒険を成功させてきた植村直己。
彼は兵庫の星であり、ジャパニーズエスキモーであり、世界のナオミである。






イベントのワークショップでお客さんが『あ、植村さんだ~!』と仰ってめっちゃ嬉しかったですね。
長くなりましたが最後までお付き合い下さった方ありがとうございます。
そんなあなたに幸せが訪れますように…☆





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