うちの長女は、叱られること、失敗することがすごく苦手。

失敗を恐れず、思うまま突っ走ってしょっちゅう物を壊したりして怒られても全く懲りない次女と比べ、超がつくほど慎重派。

私に叱られると、まず慌てて言い訳をして、私の怒りの矛先を避けようとする。

それに余計怒った私に厳しく叱られると、しゅーーーーーーんとなって涙目に。

 

私も叱られるのが、嫌いだった。

叱られるのが好きという子どもはいないだろうから当然といえば当然なのだけど、

叱られるのが、怒られるのが、恐かった。

叱られると、相手が怒っていると、私は好かれていないんじゃないか、嫌われているんじゃないか、と思って、

自分は愛されていないと思うのが、恐かった。

 

 

 

その反面、褒められるのが大好き。

褒められると分かっている分野でのみ勝負する=勝ち戦しかしない。

苦手な分野、やったことのないことには、挑戦もしない。

 

要領がよく、褒められ好きで褒められ上手の、典型長女タイプは、私が子どもの頃そのもの。

褒められる=認められている、認められている=見てもらっている、見てもらってる=愛してもらってる、と、

とにかく’誰かの一番’の位置に飢えていた私は、’すごいね’’偉いね’の言葉と共に、人に認めてもらうのが大好きになっていった。

 

 

考えてみれば、お兄ちゃん・お姉ちゃんって、下の子に比べて’かわいい’より、’すごい’’かっこいい’の言葉をかけられることが多い。

’さすがしっかりしてる’とか、’いつも偉いね’なんて、おそらく誉め言葉としてかけられてる言葉。

「言霊」って言葉があるように、繰り返し言われる言葉が、本人も気づかないうちに’そうあるべき’の暗示をかけてることも多いのでしょう。

 

 

 

私はかなり小さい頃から、周りからいつも

「本当にしっかりしている」

と言われていた。

 

自分でも、しっかり者だと思っていた。

 

 

でも、

本当は、

しっかりしてたくなかった。

 

 

本当は、

もっと母に

甘えたかった。

 

 

弟が産まれてからは、私は’おねえちゃん’になったのだから、母を弟に譲ってあげなくちゃと幼心に思った。

 

 

でも本当は、

もっと母に抱っこしてほしかった。

 

もっと母と手を繋ぎたかった。

 

母に触れていたかった。

 

お母さんともっと一緒に居たいと、大声で泣きたかった。

 

 

 

けれど私がそうしたら、母は困るだろうと、子ども心に知っていた。

母が大好きだったから、困らせたくなかった。

 

私が我慢して、しっかりしていれば、母は助かる。私に、「えらいね」と、褒めてくれる。

私は母に感謝されて、愛してもらえる。

 

 

母にとって、’一番’の良い子でいられる。

 

 

 

幼い私の中で、

愛されている=誰かの一番でいること・いつも見ていてもらえること

        =褒められること・すごいと言われること・認められること・感謝されること

        =良い子でいること・しっかりしていること・我慢すること

の方程式が、出来上がりつつあった。