私は聴く人

傾聴であなたの心に添います

 

小学校の頃

元来丈夫な子でしたが

校庭での朝礼の時 よく貧血を起こして倒れて

保健室に運ばれました 

なので

一斉に整列する日が憂鬱でした

 

高学年になったらもう貧血を起こすことはなくなりましたが

校長先生のお話よりも

お空の雲の流れや

友達の様子の方に興味が行きがち

お外はこんなに気持ちが良いのに

きちんと整列して・・・それも背丈の順に・・・

なんだかあまり記憶に残らない内容のお話を どうして整列して聞かなければならないの?

的な疑問を持っていました

 

「はい校庭に集まってください

自分たちの居心地の良い場所でいいですよ

お話を聞いたらよく理解して

分からなければ近くの先生に聞いて下さい

お友達と感想を話し合ってもいいですよ

とにかくお話の内容をよく考えてみてください」

的な朝礼だったらどうでしょう

 

話の内容の理解を深め

さらに朝の気持ち良さも実感し

一日が喜びに満ち

有意義な時間になったのではないでしょうか

 

高校までの12年間

私たちは整列して話を聞きく習慣を身に着けます

例えば誰かを出迎える・見送るときの整列は意味があるかも知れません

ただ

この間に身に着いた整列 右へ倣えは

私たちの社会生活にも深く根付いてしまっているようです

 

例えば

大きな社会問題が起きると

影響力のある意見を信じ

流れの勢いに身を任せます

だって右へ倣えだから

 

 

「はい皆さん 

よく考えてみましょう

良く調べてみましょう

仮説➡実証➡理解が必要です

個々の意見が違うと思います

さあ みんなで話し合ってみましょう!」

 

こんな風に校長先生が指導してくれていたら

もう少し今の状況が違っていたかもしれません

 

深い話をさらりとしてみました

 

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今日もブログでお会い出来ました事を感謝します

有難うございました

息をして温もりがあれば

地球では生きていることが 許されているのだから・・・
大丈夫
頑張るものは何もない

と、私はそう信じています

 

森の案内人より