今年に入ってから祖母を含めて私の周りで3名が亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りします。しかし、こんな事は今までありませんでした。昨年から私自身ドタバタですが、今年に入ってからもうひとつドタバタしています。


私はひとつのメッセージを感じています。祖母に関しても死というキーワードで自分を見直すことを教えてくれました。そして古いものは去り、新しいものが出る。そんなメッセージをくれたのだと思います。


人の死に関しては何かのメッセージ性を感じずにはいられません。死という、生物であれば当たり前の出来事に対してですが、何か特別な感情を抱かずにはいられません。そして私の創業前というこのタイミングについても不思議に感じます。


死を意識すると、強いパワーが沸いてます。一生懸命、自分のやりたいことをやる。このシンプルなことを実際にやっておられる方は多くないでしょう。しかし、いったん死を意識すると、そのシンプルなことにより情熱を傾けることが出来ると思います。一瞬一秒を大切にしなければと思います。


こんな素敵なメッセージを残してくれた祖母に感謝です。

おばあちゃんの葬儀が終わりました。昨日の通夜から本日の初七日まで、大変な2日間でした。正直疲れました。だけど、おばあちゃんは安らかな顔で、眠っていました。そんな顔をみていると自然と気持ちが柔らかくなりました。

今回従姉妹も含め、大勢の親戚知人が集まりました。皮肉にもこんなに皆が集まる時はこんな時ぐらいでしょう。とても懐かしく思いました。通夜の夜などは同い年の従姉妹達と時が経つのも忘れるぐらい話をしました。まさにおばあちゃんがこんな素敵な時間を準備してくれたのだと思います。夜はおばあちゃんも一緒に家族、親戚で雑魚寝し、最後の夜を楽しみました。

いつもやさしかったおばあちゃん。ガキの頃はいつも何かを買ってもらっていました。おばあちゃんの家は大変な片田舎なので、野山、川を駈けずりまわりました。いつも夏休みをフルに使って福岡のおばあちゃんの家にいってました。おばあちゃんの家が大好きでした。お線香の匂いや、野菜の匂いなど、大阪ではないものがおばあちゃんの家ではある、そんな感じが大好きでした。築100年以上の家です。柱や梁にいたっては200年ものの材料が使われています。そんな古い家にいつもいるおばあちゃんが見れないと思うと寂しい限りですが、いつも天から見守ってくれている。そんな気持ちで私もがんばりたいと思います。


とにかくおばあちゃんお疲れ様でした。私をいつも見守っていてくださいね。ありがとう。


おばあちゃんが亡くなりました。私が小さい頃からずっと可愛がってくれてたおばあちゃんでした。


とても悲しいはずなのに、今は何となく悲しいだけです。頭で亡くなったことを理解していても心が理解していません。おばやちゃんは福岡に住んでいました。私が大阪なので距離のせいもあると思います。少しバーチャルな感じとでもいいましょうか。福岡について、おばあちゃんの顔を見ると悲しい気持ちになるのでしょう。


人間の死亡率は100%です。誰もが必ず死にます。そして多くが、その死を予測出来ないと思います。いつお迎えがくるか分からないのです。もちろんこの私も。だから、自分に素直に正直にやりたい事をやりなさい。と、おばあちゃんがいってくれたような気がします。一度きりの人生です。死ぬ時に悔い無きよう、楽しみながら苦しんでいきましょう。←誰かの受け売りです。


おばあちゃん達の世代が今の裕福な日本の基礎を作ってきたことに議論の余地はありません。先の大戦、そして戦後を経験し、きっと苦しい時代だったと思います。おばあちゃんも先に亡くなったおじいちゃんと力を合わせて苦しい時代を乗り越えてきたのだと思います。

我々はその基礎の上に乗っかっているだけなのです。おばあちゃんが今の時代をどのように感じているかは分かりませんが、我々がその基礎に甘んじることなく、一生懸命生きていかなければならないことは確かです。


おばあちゃん、長い間お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。