徳川家茂(とくがわいえもち)江戸幕府14代将軍。井伊直弼らの支持を受けて将軍職に就任する。公武合体策の一環として孝明天皇の妹、和宮と結婚し、良好な結婚生活を送った。将軍としては229年振りとなる上洛を果たし孝明天皇に攘夷を誓う。第2次長州征伐の途上、大阪城にて21歳で死去した。
— 幕末・維新の人物bot (@bot_bakumatu) 2023年3月30日
幕府が浪士隊を募集したのは
— 新選組 bot (@makoto_shin8) 2023年4月2日
14代将軍徳川家茂の上洛警護のためだった
これを画策したのは出羽浪士の清河八郎で
その同士の石坂周造らが浪士集めに奔走し
江戸周辺の浪士を説いて回った
近藤はこれに応じたのだ
日本は、徳川家茂がTreaty of peace, friendship and commerce, between Her Majesty and His Majesty the Tycoon of Japanの批准書に署名・押印した1859年7月11日から英国領.
— 本物黒酒(水原紫織) (@honest_kuroki) 2023年4月5日
誰が売国したかと言えば徳川将軍.
ただし、北京が英仏に占領され日本を囲む海域が英国の領海になり、逃れようがなかった. pic.twitter.com/j6ycPLPra2
日本が英国領になったのは1859年7月11日。 英仏が天津を占領し、さらに北京も占領した時期でした。そのことによって日本列島を取り巻く海も英国の領海となった。民には知らされていない日英修好通称"講和"条約の批准書に、徳川家茂が「源家茂」の署名と「経文緯武」と篆刻された銀印を押した日から英領 pic.twitter.com/F6aofkBFcV
— 本物黒酒(水原紫織) (@honest_kuroki) 2023年4月4日
徳川家茂が1859年7月11日に署名した批准書の条約「日英修好通称"講和"条約」の発効と同時に、日本は英国領になった。依然貿易は徳川幕府を窓口とするもので、他の藩主たちにとっては不平等。
— 本物黒酒(水原紫織) (@honest_kuroki) 2023年4月4日
倒幕によって条約の名義を天皇に変更し、誰もが直接貿易できるようになり、鉱業権が天皇の政府預かりになった
田布施を含む山口の出身者が支配層になったのは朝鮮系だからではない💢
— 本物黒酒(水原紫織) (@honest_kuroki) 2023年4月4日
1859年7月11日から日本が英国領になったのを嗅ぎつけた長州藩藩主毛利敬親が倒幕の兵法を考案し、長州五傑を使者として密航させ、英国外務省に伝えると英国がその兵法を得策と認め共謀することにしたからhttps://t.co/NshRPzCVeM pic.twitter.com/iwSYqNpHe9
日本の支配層に朝鮮系が含まれる理由は、長州藩藩主毛利敬親が、幕府の第二次長州征討(1866)を迎撃つために揃えた傭兵1万6千人は、朝鮮半島から集められたたためです。
— 本物黒酒(水原紫織) (@honest_kuroki) 2023年4月4日
当時はすでに日本も朝鮮も清も英国領だったので、長州藩主は朝鮮人を抱き込みアジアの覇権争いで勝組になりたかったのでしょう。 https://t.co/Q4TeOPc55T pic.twitter.com/mIQJhDIy7X