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錯覚


下の二枚は静止画です。


人の目は時にいい加減ですね。
オリジナルはこちら
大きいサイズで見れるので見てみて下さい。

TS-E レンズ

しばらくまえにTS-E24mmレンズを買いました。
TES0

大判カメラ等にある蛇腹の機能を再現しているレンズです。

建物の歪みを修整したり、ピントを操作できます。
遠い被写体でもピントを狭めたりすると見慣れた風景も少し不思議な感じがします。
TSE1

フランツ・カフカ「城」

カフカ城

フランツ・カフカの「城」を読みました。

内容(「BOOK」データベースより)
測量師のKは深い雪の中に横たわる村に到着するが、仕事を依頼された城の伯爵家からは何の連絡もない。村での生活が始まると、村長に翻弄されたり、正体不明の助手をつけられたり、はては宿屋の酒場で働く女性と同棲する羽目に陥る。しかし、神秘的な“城”は外来者Kに対して永遠にその門を開こうとしない…。職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す。



カフカの作品をいくつか読んで、共通して感じる事は、現実を超えるリアルさです。
「城」にしても、代表作「変身」にしても設定は現実とはかけ離れた設定です。
変身は主人公が起きたら虫(人間サイズ)になっている話。「城」は虫になったりと
突拍子も無い出来事が起こるわけではないが、現実とはズレた奇妙な雪に閉ざされた世界が舞台。
そういった、完全なフィクションを通してカフカは逆に、現実をより鮮やかに描き出しているように思えます。現実のメタファーというよりも、現実を抽象化(モデル化)した物語なのかもしれません。

人が存在するということは、既にそれは何かに属しているということでもあります。
家族、村、学校、会社、社会、職業、国等そういったものに属しているということと人の存在は切り離せません。しかし、城の主人公Kはそんな属性をはぎ取られ世界に未完成な存在として置かれてしまった人間です。「城」は彼が自分の存在を確立しようと、虚しい努力を続ける物語です。あまりにも虚しい努力です。彼は賢く合理的な人間にもかかわらず報われません。なぜ、彼の努力が虚しいものなのかは「城」を読めば嫌というほどわかります。

社会、職業、国籍なんかは、自分という人間の(真の)価値とは無関係だ、なんていう考えかたを揺さぶり、自分という存在のベースは、むしろ、そういうものでしかないのかもしれないと不安にさせられる。







マグノリア

マグノリア
昨日、社内の映画部(いろいろ部がある会社なのです。)飲みに行って
映画部だけに(一応?)映画の話もしました。

そこで話題にもなった好きな映画。
僕の好きな映画はマグノリア。
見たタイミングとかも自分にとってピッタリで印象深い映画になっています。

自分の力では乗り切る事のできない状況にはまってしまってる老若男女10人のそれぞれの
ストーリーが重なり合い、最後は奇跡的なエンディングを迎えます。

本当は愛に飢えているセックス教教祖(トムクルーズ)、ゲイで仕事が全くできない元ちびっこクイズ王、あるトラウマで薬に依存している女性、自分の心には愛が溢れているのに愛する人がいないと悲しむ警官、いくらクイズに正解しても父親が自分を愛してくれないちびっ子クイズ王、末期がんのクイズ司会者、末期がんの元TVプロデューサー(子供と元妻にひどい事をしたと人生を悔いています)、そのプロデューサーの今の妻、等等そんな人々の人生が織りなす物語。

物語の多くは彼らの物語が美しく淡々と、しかしリアリティを持って描かれています。

そして唐突にラストは、誰もが想像できない事が起きるけれど、それは彼らに直接関わりのある事ではありません。
それでも、彼らはその事件を通じて、袋小路をから抜け出したように思います(必ずしも救われたのでないとしても)。
絶望的な状況に迷い込んだのは自分の意思が及ばない因果のためであるのだけれど、そこからの救いをもたらすものも、また自分の力ではないのです。