彼はいつも自分の幼い息子を心配していた。その子がひどい偏食でとても痩せていたのである。
彼は妻と一緒になって小言ばかり言っていた
「お父さんはね、坊やが体の立派な人間になってもらいたいんだよ」
こう言われて、この子が両親の願いを聞き入れたとすれば、それこそ不思議だ。
30才の大人の考えを三歳の子供に飲み込ませようとするのは無理だというくらいのことは誰だって知っている。
その馬鹿さ加減にやっと彼も気がついてこう考えてみた。
「いったいあの子は何を一番望んでいるだろうか。どうすれば、あの子の望みと私の望みを一致させることができるだろうか」
考えればわけのないことだった。
子供は三輪車を持っており、それにのって遊ぶのが大好きだった。
ところが近所にガキ大将がいて、いつも三輪車を取り上げられてしまうのだった。
この子は何を望んでいるだろうか。考えてみればすぐわかる。
「お母さんのいうものを何でも食べさえすれば、、いまに、坊やはあの子より強くなるよ」
父親の言葉で子供の偏食はたちまち消えてしまった。


友を得るには、相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せることだ。
ところが、世の中には他人の関心を引くために、検討違いな努力を続け、その誤りに気づかない人がたくさんいる。
自分が他人に関心を持たれていると思っている人は、次の問いに答えていただきたい
「まずあなたが相手に関心を持たないとすれば、どうして相手があなたに関心を持つ道理があろうか?」

読者がこの話をばかばかしいと思おうが、滑稽と思おうがご自由である。私はただ、世界一の奇術師ハワード サーストンが用いている秘法をありのままに公開したにすぎない。

友を作りたいと思えば、他人を熱意のある態度で迎えることだ。
紀元前100年にローマの詩人パブリアス シラスが既に次の如く説いている
「われわれは、自分に関心を寄せてくれる人々に関心を寄せる」
他人に示す関心は、人間関係の他の原則と同様に、必ず心の底からのものでなければならない。

心にもない笑顔、そんなものには、誰も騙されない。そんな機械的なものには、むしろ腹が立つ。私は真の微笑について語っているのである。心の底から出てくる笑顔、千金の値のある笑顔について語っているのだ。
犬が可愛がられる所以である。我々を見ると犬は喜んで夢中になる。自然、我々も犬がかわいくなる。赤ちゃんの笑顔も同じ効果を持つ。
微笑はこう語る「私はあなたが好きです。あなたのお陰で私はとても楽しい。あなたにお目にかかって嬉しい。」

笑顔など見せる気にならないときは、どうすればよいか。方法は二つある。ひとつは無理にでも笑ってみることだ。幸福でたまらないように振る舞うのである。すると本当に幸福な気持ちになるから不思議だ。感情は、動作を調整することによって、間接に調整することができる(ウィリアム ジェームズ)

どんな金持ちも笑顔なしでは暮らせない。どんな貧乏人も笑顔によって豊かになる。笑顔は与えても減らず、与えられたものは豊かになる。買うことも、強要することも、盗むことも、借りることもできない。無償で与えてはじめて値打ちが出る。
笑顔を使いきった人間ほど、笑顔を必要とするものはありません。

他人を喜ばせたり、誉めたりしたからには、何か報酬をもらわねば気が済まぬというようなけちな考えを持った連中は、当然、失敗するだろう。
いや、実は、わたしもやはり報酬を望んでいたのだ。彼のために尽くしてやり、しかも彼には何の負担もかけなかったという清々しい気持ちが、それだ。こういう気持ちはいつまでも楽しい思い出となって残るものなのである。

では、それを、どのように、いつ、どこでやるか?いつでも、どこででも、やってみることだ。

「あなたは重要な存在だ」
人はだれでも他人より何かの点ですぐれていると思っている。あわれなのは、人に誇るべき利点を備えず、そこからくる劣等感を鼻持ちのならぬ自惚れや自己宣伝で紛らそうとする人たちである。


「人を動かす」
By Dale Carnegie

自戒を込めて。



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