聞く能力は、話す能力と同じぐらい大切である。私と弟妹は、ごく小さいころから、口喧嘩をするたびに「お互いに相手の鏡になりなさい」と母に教えられた、いや、命じられた。つまり反論する前に相手の言葉を繰り返し、理解したことを示さなければならない。
例えば、妹と私はある日キャンディーのことで喧嘩になった。「シェリルが最後のキャンディーを食べちゃったの!」と妹が泣き叫ぶ。「だって昨日あなたはキャンディーもらったでしょ。私はもらわなかったわ」と私が妹に怒鳴り返す。これがまさに「鏡」になるべき瞬間だ。母は私たち二人を向い合せに座らせる。そして私は、妹の気持ちを認めるまでは、キャンディーの配分が不公平だったという反論をしてはいけない。「最後のキャンディーを私が食べてしまったのでがっかりしたことはよくわかるわ。あなただって食べたかったんだものね」。これをいうのは確かに苦痛だし、不面目でもある。だが相手の論点を繰り返すことで、彼我の意見の違いが明確になり、それが議論の出発点になる。誰だって自分の意見を聞いてもらいたいと思っている。そして、こちらがちゃんと聞いていることを示すだけで、誰もがよい聞き手になれるのである。
問題の存在に気付くことは解決の第一歩である。自分の行動が他人にどう受け取られているかを知ることは、まず不可能だ。他人がどう思っているかを推測することは可能かもしれないが、直接聞くほうがずっと手っ取り早い。本音が聞ければ、大事に至らないうちに自分の行動を修正できるだろう。それがわかっていても、人間はなかなかインプットを求めようとしないものである。