謎の放火犯の物語~八百屋お七は実在したのか? | 歴史ミステリーへの誘い

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歴史本&歴史雑誌の編集者 盛本隆彦 のブログです。特に「歴史ミステリー」が好きで、日本・世界、古今東西の歴史の謎を探っています。

江戸時代で最も有名な放火犯であり、また悲劇のヒロインの1人でありながら、実はその正体が謎に包まれている人物がいる。それが「八百屋お七」だ。

火事で焼け出され、駒込にある檀那寺に仮住まいすることになった八百屋の一人娘で16歳で美少女お七は、寺の若衆の小野川吉三郎と恋に落ちる。だが、やがて焼けた家が再建されたため一家は本郷へ戻る。吉三郎に会うことができないお七は、また家が焼ければ吉三郎と会えるのではないかと放火する。当時、放火は大罪、お七は品川の鈴ケ森の刑場へ移送されて火あぶりの処せられる。

一般的に知られているお七の話は以上だが、実はこれはお七をモデルにした井原西鶴の『好色五人女』にある話。

『好色五人女』が出版されたのは、お七事件があってから3年後だが、上方にいた西鶴が伝聞をもとに書いたものらしく、恋の舞台となった寺の名前をはじめ、江戸の事情には当てはまらない点も目につく。

実は本当の舞台はどこだったのかというと判然としないのだ。

お七の墓があることで有名な円乗寺は文京区白山にある天台宗の寺だが、ただし、科人の墓を建てることは当時はご法度だったので、役人を買収するなどしてこっそり遺骨を分けてもらうのでなければ、本当の墓を作ることはできない。実際、ここにお七の墓がある由来は不明で、寺の住職が供養のために建てたと伝わるだけだ。

または、江戸時代の歌学者・戸田茂睡の著作『天和笑委集』はお七事件について詳しく述べており、『好色五人女』とならんで援用されることが多い史料で、この本では事件のあった寺を正仙院としている。だが、残念ながら正仙院という寺は古地図には存在しない。

さらにお七の恋人も『好色五人女』では小野川吉三郎だが、『天和笑委集』では生田庄之介となっている。さらに、江戸中期の講釈師・馬場文耕が著した『近世江都著聞集』という書物には、山田左兵衛という名で登場する。

しかも文耕は、火付改加役・中山勘解由の日記を見る機会があり、そこから知った話として、お七事件の真相を次のように記している。

吉三郎という人物は吉祥寺の門番の倅である。世間では、この吉三郎がお七の恋人だったように思っているが、それは大きな間違いだ。お七の相手は円乗寺の山田左兵衛という者で、吉祥寺の吉三郎はお七と左兵衛の間をとりもっていたのである。

しかし、吉三郎は大酒のみの博打うちで、親から勘当されるほどのならず者。恋文を運ぶ報酬としてお七から博打の元手をせしめていた。それのみか、「円乗寺の左兵衛に会うためには、火事にして家を焼くほかないぞ」とお七をそそのかすにいたった。

お七に火事を起こさせ、そのどさくさに自分は火事場泥棒を働こうという目論見だったが、ちょうど見廻りにきた中山勘解由につかまってしまったというのだ。

このようにお七事件は謎に包まれている。確かなのは、放火をしたために火あぶりの刑に処せられ、西鶴の『好色五人女』のモデルとなったお七という少女がいた、という事実だけなのだ。