このところ「レモン柄」が手元に集まってきていて、あら、無意識にレモン柄を集めてるんだわと面白くなった。

このブログのデザインもレモン柄だし、新しく買ったキッチンマットや、何気なく購入を決めた本の装丁もレモン柄。娘の服もパジャマもレモン柄だし、今日着た服は無地だけれどレモンイエローだった。

世の中でレモン柄が流行っているのかもしれないけれど、それにしてもここまで集まってくると自分の無意識の世界を感じずにはいられない。

 

無意識というのは潜在意識とも呼ばれ、自分の行動に大きく影響を与えているそうだ。

潜在意識で思っていることを塗り替えれば、現実は大きく変わるらしい。

けれども、どうにも顕在意識強めで生きている私にとっては、潜在意識の塗り替えがなかなかどうして難しい。

 

ところで、類は友を呼ぶという言葉がある。

「気の合う者や似通った者同士は自然に寄り集まって仲間を作るものだ」という意味で、確かに自分の交友関係を考えてもその通り。

気の合う友人とはお互いに無理することなく付き合いが続いてきているし、似ているところを持ち合わせている。

 

これはなにも「友人」に限ったことではなくて、趣味や志向についても同じことが言えるようだ。

自分が無理なく楽しめるものは自然と趣味として残るし、キラキラしい雰囲気に憧れて始めたもののどうにも身になじまずすぐにやめてしまう趣味もある。

どうやら「無理なく楽しめる」というところがポイントで、それさえあれば自分はそれと「友」であり「類」であるということなのだ。

 

このブログのタイトルは「軽やか美人にあこがれて」だけれど、軽やか美人への道を「無理なく楽しめる」かどうか、それが軽やか美人という存在の「類」となれるかどうかの分かれ道なのだろう。

 

冒頭のレモン柄の一件で手元に集まったレモン柄たちを眺め、清涼感あふれる柑橘の香りが不思議に鼻先をかすめるのを感じながら、今自分は間違いなく楽しんでいるぞ、と思う。

レモン柄を集めることがイコール軽やか美人というわけではないけれど、こういった日々のひとつひとつを楽しむ心は軽やか美人の心だろう。

 

潜在意識の塗り替えというとなんだか小難しくてどうしたらよいのか分からないけれども、少なくとも今こうしてレモンの香りを感じながら「軽やか美人」への道を足取り軽く進む一瞬は、潜在意識にも無理なく刻まれているのだろうと思われる。

 

おしゃれをするとか姿勢を良くするとかメイクをするとか、そういった「技」はもちろん大切だけれども、「技を磨く」というよりも「小技を楽しむ」くらいの気持ちで取り入れていくほうが結果的には技も磨かれ、その道の近道になるようだ。

 

 

エッセイスト森本そら

 

 

・・・・・・・

【執筆のご依頼、お問い合わせはこちら】


テーマ、文字数、掲載媒体、原稿料、納期をご記入の上、下記までご連絡ください。


morimoto.sora.essay★gmail.com

(★を@に変えてご利用ください)

 

詳細が未定の場合もご相談をお待ちしております。

まずはお気軽にお問い合わせください。