ディヴィッド・ロビンスは自分の胸に小さな頭をもたせて無心に眠る恋人の額にそっと口づけた。
はじめて出会った時、自分の存在理由がわかった気がした、これまでの過程は全て彼女に出会うためのステップだったのだと。
彼女を初めて見た時のことを今も忘れない。
長い髪をキッチリと結び、意思の強そうなキリリとした黒く大きな瞳。
すんなりとした長い手足。
それでいて親しみやすい笑みをたたえたかわいらしい口元。
そのとき、彼女にどうしても声をかけるんだ!と脳内から指令が届いた。
彼はその指令に従い、成功した。
父親の仕事の関係で10代からこの国で過ごし大学入学時に両親が帰国した後もこちらに残り大学に通った、二つ違いの兄が大学を卒業し帰国した後は一人で残り勉強を続けていると、自分の身の上を話す彼女。
「卒業したら必ず帰国することを条件にね、両親を説き伏せるのには一苦労したわ」
つんとした鼻筋に見とれているとその鼻をクシュっと皺を寄せて楽しそうに笑う。
…帰国だって?そんなことにはさせない、必ず君には僕のそばにいてもらおう。
彼女の為にディヴィッドは自分の生きる基盤を築いた。
両親を頼らずに資金を作り小さな歯科クリニックを開業した。
・・・恋人の寝顔を見ながら目覚める幸福感にいつまでも浸っていたいが、二人には仕事がある、この場所に彼女にいてもらう、そのためにこうして二人で作りあげたこのクリニックを成功させていくんだ、そう、僕たち二人で。
婚約指輪はとっくに準備している。
それを跪いて彼女に渡すタイミングを今一生懸命考えている。
「ところで、妖精がどうしたって?」
ベッドで彼の腕枕で目を閉じていたクリスティーナに不意にディヴィッドが声をかけた。
「いけない、そうだったわ。行かなきゃ」
勢いよくベッドから抜け出て行くクリスティーナの後姿に声をかける彼。
「あわてるなよ、あとで僕も顔を出そう。噂の妖精にご挨拶しよう」
クリスティーナは振りむきながら彼をにらんだ。
「あなたはダメ。妖精に魅入られそうだから」
…そんな筈はない、僕は君に魅入られているんだから。
「おはようございます、ジュデイ。昨日緊急で予約の入ったジェラード夫人はもう着いている?」
思いの他、支度に手間取ったクリスティーナが密かにゴムまりさんと呼んでいるクリニックのスタッフ、ジュデイに尋ねた。
「キム先生、おはようございます、ジェラード夫人ですか?もうとっくにいらしていて院長先生が診察していますよ、ほらあのカッコいいご主人と一緒に」
「なんですって、ディヴィッドが診察を?ダメだって言ったのに、それにシンも来ているの?そう、やっぱりね。まって?じゃあ三人で一緒に居るの?やだ、もう勘弁して」
急いで診察室のドアをけ破るようにして開けるとそこには異様な光景が。
診察台には”妖精“チェギョン・リンジー・ジェラードが可憐な様子でちょこんと座っている。彼女をはさんで二人の美形の男性がまさに火花を散らさんばかりに見つめ合っていた。
・・・あ、火花を散らしているのはシンだけだわ、ディヴィッドの方はなんだかゆとりの笑み、あ、待って?あの微笑みなんだか見た事があるわ。
何年か前に、私をダンスに誘った同級生の男の子にあんな顔を見せたことがある。
まさかシンに対してライバル宣言しているって事?ひょっとしてチェギョンに一目ぼれしたとか?冗談じゃないわ!そうはさせない。
クリスティーナはどんどんと木製の床を踏みしめるようにして3人のところまで迫って行き、細い麻酔針でチェギョンの小さな口元に麻酔を施そうとしたデイビットの手をひねりあげ注射器を奪い取った。
「ロビンス先生、お疲れさまでした、ここから先はこのわたくしが変わって診させていただきます。どうか他の患者さんを診て差し上げて?さあチェギョン、麻酔をかけます、ここからは私に任せてね?良いでしょう、シン?」
「ああ、頼んだよクリスティーナ、最初から君に頼むつもりだったんだ、今日、初めて会ったこの院長先生よりもね」
デイヴィッドを見据えながらシンが答える、デイヴィッドは微笑みながらチェギョンに話しかけた。
「ジェラード夫人、あなたの主治医がどうやら間に合ったようです、ここからは彼女に任せた方が良いようですので私はここで失礼します、クリスティーナの腕はこの僕が保証します」
チェギョンは不安で緊張していたはずなのになんだかおかしな事態になって行った事で一気に緊張が解けたようだった。
「ええ、ディヴィッドそのほうが良いみたい、せっかくお上手・・・あ、また言っちゃった」
思わずシンを振り返るとシンは軽く首を左右に振った、笑いをかみ殺しながら。
そしてチェギョンはこう続けた。
「クリスティーナ、お願いね」
これが妖精の微笑み、脱帽するより仕方がない。
これに勝てる人間がいたら一度お目にかかりたいものだわ。クリスティーナはもう仕事に専念する以外になかった。
「了解、さあチェギョン楽にして、大丈夫よ私は一日に大勢の患者さんの親知らずを抜歯したこともあるの、ディヴィッドありがとうここからは私がやるわ。ねえ、ジュデイを呼んで来て?」
「ああ、わかった。そのほうがよさそうだ、頼んだよ」
ディヴィッドが別の予約患者の診察をするために他の診察台に行った頃。
麻酔が効き始め、前回のようにシンがチェギョンの手を握る、内心ジャマだとは思ったがここまでついて来られたのでは出て行けとは言えそうもない、
二回目の今はシンの視線をもろともせずに平常心で乗り切れた。チェギョンの小さなあごにしがみつくように生えてきている親知らずもキレイに取り去ることが出来た。
「腫れについては説明は要らないわね、じきに引くと思うけど激しい運動は禁止よ、傷を刺激する可能性があって、もっともどんな傷にも禁物だけど。Drジェラード、痛み止めは必要かしら?」
「ああ、もちろん出しておいてくれないか?」
「ええ、わかったわ」
シンは抜歯の痛みと疲れで打ち震える妖精を抱きかかえ…とろけそうな目で自分の膝の上に居る彼女の頬を撫でた。
もうこの光景も見慣れたものだわ。この後の残り二本の親知らずはどうしようかな?
痛みが無ければこのまま放置でも良いし。
チェギョン次第ね、いや、シンに主導権がある?
どっちかしら?
帰り際、シンはチェギョンを抱き上げたままでクリスティーナに言った。
「君、少しお疲れなんじゃないか?あまり無理するな、強がらずに彼に甘えてもバチはあたらない」
…別に疲れてなんていないわ、私は自分のやるべきことをやっているだけ・・・
「ありがとう、シン。でも無理なんてしていないつもりよ。息抜きが出来るときは結構休んでいるから大丈夫」
「それなら安心したよ、今日はありがとう。またお願いするよ」
チェギョンはシンの腕の中でクリスティーナに向かってひらひらと手を振ると車に乗り込み去っていった。