夢追い
6.社会人期 -回顧-
7.まとめ -自己実現とは-
昔を振り返ると、とかく凝り性だった点だけは共通しているようである。ロボットやりたい!の思いは常に持っていた。
【幼少期】
物心付いたときからロボットに憧れを抱いていた。【小学校】
何かを作ったり組み立てたりするのが好きで、小学生でわけも分からず電子工作通信講座を始めていた。特に理解をしていたわけではないが、作ったものが電気で動くことが楽しかった。その証拠に小学校の卒業文集では、ロボット博士になるのが夢と書いてあり、今となってはありゃりゃ、という感じである。
【中学校】
中学では部活のテニスにはまった時期はあったが、【高校】
高校時代は私の今の人となりのを形成する決定的に重要な期間であった。無駄な忍耐力はこの辺りから鍛えられたと思う。
当時の環境は、1日8-9時限授業、土曜日と長期休みも毎日授業で休日も宿題まみれ、勉強合宿、 部活・恋愛禁止など、地元ではブラックな進学校で有名だった。それを知りながら 自分で選んだ道なのだから特に後悔は無かったが、あれほど自由を束縛された期間は無かろう。
また、極めて優秀な同級生に囲まれ、挫折も多く経験した。 悔しさで涙を流すほど辛い時期を過ごしたこともあったが、それを糧に勉強はした。知見を得ることは嫌いではなかった。
そして希望(正確にはワンランク落としたが、もうどうでもいい)の大学に合格したわけである。
【思ふ】
【思ふ】
は良いが、決して華やかな生活ではなかったわけである。私は苦労の一つもを知らずに人生歩んできたと思っている人は少なからずいるわけで、結構嫌味も言われたこともある。
しかし、私は高校入学当時はクラスでも下の方であったし、世の同世代の高校生がやれ彼女だやれ合コンだなどと楽しそうな高校青春時代を過ごすのを横目に、歯を食いしばって勉強して、努力をして辛い思いをいっぱいして何とか這い上がったという経緯があるのを完全に無視される。結果だけ見られて何故か他人からきついことを言われてしまうわけである。
それに対し、私はこんだけやったんだぞ、などと言うの聞くのは如何に不毛なことで、それが周りに不快を与えるということも理解しているので、黙ってその話を聞き苦虫を潰すような思いをする。これが一番辛かった。
別に私に限った話ではない。私なんかよりも辛い思いをして這い上がった人もいよう。そういう人たちが正しく理解され評価されるわけではないのが社会の理不尽である。それは分かっている。
結論が出なそうなのでこの辺でやめておこう。ここはSNSではなく、個人のブログ。少々お許し願う。
要はロボットをやりたいという夢と悔しさをばねに18歳まで生きたのですね、ということです。大学に入ってこの志はもろくも崩れるのである。それは次回述べることにする。