この時期、花壇や鉢植えできれいな花を
咲かせてくれる「 都忘れ  」は800年前の
切ないエピソードにちなむ花です。

鎌倉時代( 1221年 )、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して挙兵した「 承久の乱 」は、圧倒的な武力を背景に幕府側の勝利に終わり、後鳥羽上皇は隠岐、皇子・順徳天皇は佐渡へと流罪になりました。


配流の島で順徳天皇は、父帝が好きであった白菊に似た花を 

都忘れ( みやこわすれ ) 

と名付け、華やかであった都暮らしを懐かしんだといいます。

順徳天皇の歌
   いかにして 契ぎりおきけむ 白菊の
    都忘れと 名づくるも 憂うし

順徳天皇の切ない心情が切々と感じられます。
 
現在「 都忘れ  」と呼ばれている植物は江戸時代以降に作られた園芸品種。順徳天皇がご覧になった花にちなみ名付けられたと考えられます。