2011年4月29日ウェブサイト 更新しました。
国芳 Kuniyoshi 『太平記英勇傳 濱地将監満国』 大判錦絵 嘉永元年(1848)~嘉永二年(1849)
山路将監は、はじめ柴田勝豊についていた。、
勝豊が秀吉方に寝返ると山路は賤ヶ岳の戦いの時に佐久間盛政につき柴田勝家方で戦う。
加藤清正と組み合いになり、清正が山路をねじ伏せたのだが、兜がつつじに引っかかってしまう。
そこで山路は攻撃に転じるが、清正は兜の緒を切り、谷底へ転げ落ちながら山路を討ち取った。
2011年4月29日ウェブサイト 更新しました。
国芳 Kuniyoshi 『太平記英勇傳 濱地将監満国』 大判錦絵 嘉永元年(1848)~嘉永二年(1849)
山路将監は、はじめ柴田勝豊についていた。、
勝豊が秀吉方に寝返ると山路は賤ヶ岳の戦いの時に佐久間盛政につき柴田勝家方で戦う。
加藤清正と組み合いになり、清正が山路をねじ伏せたのだが、兜がつつじに引っかかってしまう。
そこで山路は攻撃に転じるが、清正は兜の緒を切り、谷底へ転げ落ちながら山路を討ち取った。