5月2日ウェブサイト 更新しました。
【円山応瑞】まるやまおうずい 生没年:明和3年(1766)~文政12年(1829)
姓は源、字は儀鳳。号は怡真堂。はじめ右近のち主水と称する。円山応挙の長男で、画を父に学び円山家二代目となる。寛政度御所造営にも25歳の若さで採用されている。寛政後期より盛んになる書画展や寄合書制作の場では中心的位置を占め多士済々の円山派の統合のシンボルとも言える。
5月2日ウェブサイト 更新しました。
【円山応瑞】まるやまおうずい 生没年:明和3年(1766)~文政12年(1829)
姓は源、字は儀鳳。号は怡真堂。はじめ右近のち主水と称する。円山応挙の長男で、画を父に学び円山家二代目となる。寛政度御所造営にも25歳の若さで採用されている。寛政後期より盛んになる書画展や寄合書制作の場では中心的位置を占め多士済々の円山派の統合のシンボルとも言える。