浮世絵:周延『鳥居強右衛門敵ニ捕レ見方ノ城中エ忠言ス』 | 森宮古美術*古美術もりみや

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周延『鳥居強右衛門敵ニ捕レ見方ノ城中エ忠言ス』

周延 『鳥居強右衛門敵ニ捕レ見方ノ城中エ忠言ス』 明治二十六年(1893年) 大判三枚続


武田の15,000といわれる大軍に囲まれた長篠城は、わずか500の兵でよく戦った。

しかし兵糧蔵も破られたために援軍が来なければ落城するという所まで追い詰められる。


長篠城を守る奥平貞昌(のちの信昌)の家臣鳥居強右衛門は、一刻も早い援軍を要請するために貞昌の密命を帯び脱出する。無事に脱出した強右衛門は岡崎城に入り貞昌の書状を手に長篠城の窮状を訴えた。

岡崎城にはすでに信長軍も到着していたため、これを知った強右衛門は喜び、この吉報を知らせるために休まず長篠城への帰途についた。


しかし長篠城に向かった強右衛門は、不運にも武田軍に捕らえられてしまう。

武田方は強右衛門に、城に向かって「援軍は来ない」と伝えれば助命すると提案し、これを鳥居は承諾する。

本丸を望む場所へ引き立てられた強右衛門は「援軍は数日以内に来る」と伝え、城の士気を一気に高めた。

すでに死を決意していた強右衛門は、ほどなく磔にされ処刑されてしまう。